文字サイズ 大小

杜に想ふ 声は乗り物 涼恵

令和2年05月11日付 4面

 声は空気の振動を伝へる。個人的な感覚かもしれないが、声は自分の身体から発せられる音だけではないやうに感じてゐる。声の響きは、場所によって大きく左右される。設備だけではなく、目には見えない、その場の何かが声を響かせてゐるのではないかと思へるほどに。
 ありがたいことに、全国各地の神社で歌を御奉納させていただく機会に恵まれるのだが、明らかにコンサート会場やライヴハウスとは違った声の響き方を体感する。時には拝殿や神楽殿、参集殿などさまざまな環境で歌はせていただくが、神様の御存在を自然と感じ、歌声が真っ直ぐに、天へと吸収されてゆくかのやうな、とても神聖な感覚がある。
 どんな場所であらうとこのやうに歌ひたいと稽古をしたとしても、その場の環境によって、やはり声の乗りが変はってきてしまふ。自我が残ってゐると、身体に力が入ってしまひ、重たく感じて制限がかかってしまふ。
 無であればあるほど響きやすい。自分であって自分でない。そんな透明な世界。時に「歌声が倍音に聴こえた」と言ふ方がいらっしゃる。単音の旋律ではなかったと。それは何かの気配が声といふ乗り物に同乗したからなのかもしれない。
 祝詞奏上もさうではないだらうか。大祓詞は顕著で、神職一人一人が同じ詞を奏上しても音の重なり方はそれぞれで、上昇も下降も意味があるやうに感じられる。声の重なりがバラバラではなく、まるで一つの声かのやうに聴こえてくる、あの一体感や存在感には、言霊の強さを教へられる。
 少々乱暴な言ひ方かもしれないが、祝詞も歌も似てゐるところがあるやうに個人的には感じてゐる。祈りを捧げる神聖なもの。目に見えない力が宿るもの。声から伝はる情報量は確かにいっぱいあるのだ。喜怒哀楽にも音があると感じてゐる。嘘か真かさへ、声の振動で伝はってくる気がする。その人の人柄さへも。人は優しい言葉を口にする時、怒りを露はにする時など、声色が変はる。
 世界中の音もそれぞれに違ふ。フォルクローレ。例へば土着の歌や音楽など、まさに個性豊かなその表現の幅は風土を表してゐるかのやうに広い。モンゴル、インド、セネガル、ブルガリア……ここでは挙げきれないほど、世界各国の歌には、それぞれの風景が浮かんでくる。音楽こそ、その場の空気の振動を伝へる媒体と言へるだらう。
 私事で恐縮だが、このたび神社新報社と読者の皆様からの格別な御配慮をいただき新刊と、ユニバーサルミュージックを通して新譜を発表させていただくこととなった。この場を借りて深く感謝申し上げたい。言葉や音で表現したいこの世の美しさを、まだまだ表現し切れない己の至らなさを感じつつ、改めて自分の声や響きには責任を持ちたいと自覚が増してゐる。
(歌手、兵庫・小野八幡神社権禰宜)

オピニオン 一覧

>>> カテゴリー記事一覧