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論説 『日本書紀』千三百年 神話伝承は国の存立基盤

令和2年05月18日付 2面

 本年は正史『日本書紀』が修撰されてから、千三百年の記念すべき年にあたる。書紀に引き続き編纂された『続日本紀』養老四年五月癸酉条には「是より先一品舎人親王勅を奉り、日本紀を修す、是に至りて功成り奏上す。紀三十巻系図一巻」とある。言ふまでもなく書紀は三十巻で神代巻に始まり、次いで神武天皇から持統天皇までの国の歩みを記してゐる。残念ながら当初存在した系図は伝はってゐない。
 舎人親王は、天武天皇の皇子で後に知太政官事となり、奈良時代初期に国政の中心にあった。さて、書紀編纂の端緒になったのではないかといふ記事が、天武天皇紀十年三月の条にある。天武天皇が大極殿に出御され、川島皇子以下十二人の臣下に詔して、「帝紀及び上古の諸事を記し定めしめたまふ」とある。皇族を含めた大勢の編纂官を任命して史局を作り、史書の編纂が開始されたと推測できるのである。同時代に撰上された『古事記』も天武天皇の発意によるもので、このやうなことは十分考へられることである。

 『日本書紀』の冒頭は、「古、天地未剖」と始まる。漢籍に見える天地開闢神話である。世界の初めは天と地が接してゐて、これが分かれ、そのなかに神が生まれ、神々の世界となり、やがて人の世に繋がってくる。
 書紀の特徴は、漢籍の引用も多く、当時の国際言語の漢文、正統的漢文で記されてゐることだ。神代から始まる時間が歴史時代へと繋がり、年月日を記す編年体の史書として、中国発祥の暦の知識を用ゐて紀年法を確立してゐる。元々暦法のなかった古伝承に紀年を取り入れることは、たいへんな作業だったに違ひない。
 初代・神武天皇の即位については、「辛酉年春正月、庚辰朔、天皇橿原宮に即帝位」と記してゐる。中国では辛酉年は大変革の起こる年と認識されてゐて、その知識を取り入れたことが理解できる。面白いのは、春正月一日に即位されてゐることだ。私たち日本人は新年を迎へると、ここから新たな時間が流れ始める。書紀編纂者たちも同じ意識を共有してゐたのだらう。国際標準を意識しながら、固有の意識も反映されてゐるのである。もちろん、かうした背景が見えるからと言って、『日本書紀』の価値が下がるものではない。

 先般、東京国立博物館で「日本書紀成立1300年特別展『出雲と大和』」が開催された。記紀神話に伝へられた国譲り神話を跡付ける発掘遺物や初期仏教美術を含み、これらの展示物は出雲大社が神話伝承通り今も同じ場所に存在し、祭祀伝統が継続されて現代に続いてゐることを強く印象付けた。
 大和の側にも同じことが言へるのであるが、展示物だけではそのことが鮮明にならない。しかし、先年挙行された即位儀礼の中では、御即位にあたって新帝陛下が三種神器を継承されてをられる。また御即位後には新穀の収穫を待って大嘗祭が斎行され、新帝陛下が御親ら天照大神に神饌を供へられて御世の平安を祈られた。これらはすべて書紀が伝へる神話伝承に起源がある。

 天孫降臨にあたり、天照大神は皇孫・瓊瓊杵尊に豊葦原瑞穂国を知らすことを命じられ、皇位の窮り無き栄えを祝福された。同時に三種神器を与へられ、神鏡の祭祀を命じられた。さらに高天原で栽培されてゐた稲穂を、国民の糧とするやうに委ねられた。この三大神勅にわが国の原点が伝承され、今もこれを基礎に国家が形成されてゐる。何よりの証拠は、瓊瓊杵尊以来三代を経て、神武天皇が国を肇められ、皇統連綿として今上陛下まで百二十六代続いてゐることである。上皇陛下には平成二十八年四月三日の神武天皇二千六百年式年祭の儀にあたり橿原神宮に御参拝になられ、三十年には銅鏡を御下賜になられた。銅鏡には畝傍山、八咫烏、樫の葉が配され、上皇陛下の深い祈りのこめられた意匠である。
 神話伝承は史実ではないと、これを貶める向きもあるが、国の存立の基盤となる大事な伝承なのだ。伝承は毎年くり返される祭りで原点に繋がってゐる。それは現在、感染症の影響で厳しい状況にある全国の多くの神社においても同様で、神話に伝承された神々が祀られ、毎年くり返される祭りで神代と繋がってゐる。『日本書紀』修撰千三百年に際し、編纂に携はられた先人に感謝するとともに、神社護持・祭祀継承の意義と方途を改めて考へたい。
令和二年五月十八日

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