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杜に想ふ 目に宿る 涼恵

令和2年07月13日付 5面

 最近、移動する際にはマスクが欠かせない状況が続いてゐる。これからの時期は熱中症予防として、状況に応じて適度に外したり着けたり、身体に悪影響が出ないやう充分に気をつけていただきたいと環境省も呼びかけてゐる。
 個人的には喉を労るために以前からマスクは必需品なのだが、ここ最近マスクをしてゐる人が多いからこそ感じるものがある。目は口ほどに物言ふ。少ない情報量だからこそ、本能で察知することがあるのか、目を見れば分かる。最近はより、そんな気がする。
 生命体の触れ合ひ。目が合った時の、一瞬の判断だけれど、なんとなく伝はってくる人間性。皆様にもないだらうか、例へば、優しさうだとか、怖さうだとか。マスクをしてゐても、全体的に醸し出す雰囲気や背後に纏ふ空気感といふのは、伝はってくるもの。“元気なささう”“何か良いことあったのかな”“酔っ払ってる?”“イライラしてる?”などなど。
 ふと電車の中で、目について考へてゐた。目が綺麗な人っていらっしゃる。それは、すーっと奥まで吸ひ込まれさうな深い眼差し。淀みのない清廉な目。嘘を見抜いてしまふやうな真実を映す目。反対にどこか悲しさうな目、疑ってゐる目、曇ってゐる目もある。
 マスクをしてゐるからこそ、かへって目立つ部分かもしれない。女性でも男性でも。隠されることで、露になる部分もあるのだらう。
 中学生時代、自分は今どんな目をしてゐるのか、鏡に瞳だけを写して観察ばかりしてゐた。瞳孔の開閉や涙との連動も面白く、とくに昼の目と夜の目は著しく違ってゐて、太陽の光を通した目が一番精神状態を分かりやすく伝へてくれる。さういったことも重なってか、良くも悪くも目から伝はる情報量を言葉よりも頼りにする傾向が自分にはあると思ふ。
 目の印象的な参拝者がお参りに来られたときのことが思ひ浮かぶ方もいらっしゃるのではないだらうか。日本人はアイコンタクトに慣れてゐない人が多いといふ。知らない人と目が合ふと、どこか恥づかしくて、慌てて目を逸らしてしまふ。欧米の人は、目が合ふと、にっこり笑って御挨拶、なんて人も少なくないだらう。どちらが良いといふ訳ではなく、そんな対応の違ひも一つの国民性として表れてゐることが興味深い。
 目配り。目配せ。それぞれ意味は違ってゐる。言葉に頼らず、相手が何を求めてゐるのかを察知する機能が目には備はってゐるのだと改めて感じてゐる。
 仲執り持ちとして、御神前に向かひながら参拝者とどう見つめ合ふのか、今回のマスク使用から学ぶものがあると、私は受け止めてゐる。そして、こちらも見られる側であるのだ。目を鍛へる、いい機会をいただいてゐるのかもしれない。
(歌手、兵庫・小野八幡神社権禰宜)

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