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杜に想ふ うらやすの国 植戸万典

令和2年07月20日付 5面

 心安らかな日が遠い。何でも「コロナの影響で」で済まされさうな昨今だが、現実にはさうはいかないこともある。この原稿の締切がそれだ。
 八月で文化財保護法が施行七十年を迎へる。昭和二十四年の法隆寺金堂壁画の火難を機に立法されたそれは、本邦における古器旧物保存の歴史を継承してこれまで運用されてきた。先日の豪雨でも国宝の青井阿蘇神社はじめ多くの文化財が被災したが、災禍にあって人命第一は当然としても、同時に文化を伝へてきた資料をどんな状況でも未来へ遺すには平素からの体制と方針が肝要となる。
 同法は昨年に改正法が施行され、今年は文化観光推進法も疫禍のなか成立した。いづれも日本が観光立国をめざすといふなかで地域や観光の振興を目途としてをり、文化財は「保存から活用へ」転換を迎へたとされる。ただこれには、本来相反した営みであるはずの「保存」と「活用」のバランスに心を砕いてきた博物館関係者から議論もあった。今それを云々する暇はないが、一学芸員有資格者として願ふのは、文化財は活用のための保存でなく保存のための活用であってほしい。
 博物館は文化施設であり研究施設であり社会教育施設だが、多くの場合は観光スポットと見られてゐる。そこは社寺も変はらない。毎朝の通勤途中に社参する人がある一方、熱心な信仰を持たない人にとっての神社仏閣とは、手垢のついた表現をすれば一種のテーマパークなのだ。さうした面は昔から社寺にはあったもので、特別な立地と施設とイヴェント、そして土産となる品が揃ったそこは、非日常を味はふ行楽地としての魅力が詰まってゐる。もちろん神社にとっては祭祀の厳修が至上命令だが、祭祀といふ信仰を文化財に擬へた場合、その「活用」として境内をテーマパークと捉へる思考実験は神社の「保存」においても有効に思へる。
 テーマパークでは、便利さもさることながらその空間内の「世界観」を損ねないことが大切だ。その意味では、この七月に営業再開した、東京に隣接する浦安市の某夢の国などは象徴的な存在だらう。園内の至るところに及ぶ徹底ぶりは素直に感心されるし、俗事を忘れてその世界に浸ることが叶ふ。神社がそのすべてに倣ふことはできないしすべきでもないが、社頭で新たな手段を採る際はそれが境内に馴染むのか考へる参考にはならう。
 また観光施策に力が入れられるのはこの疫禍の後だらうが、観光は訪れるゲストが心安らかに楽しめてこそのものだ。神武天皇紀によると、伊奘諾尊は日本を浦安の国と名付けた。意味するところは心安らぐ平和な国といふこと。日本が観光立国をめざすなら、誰しもが心安らかに旅を楽しめるやう、斯界はこの国が「浦安の国」となることをさらに祈らなければならない。
(ライター・史学徒)

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