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杜に想ふ 祈る人 神崎宣武

令和2年08月24日付 5面

 先月の中旬から、「ALS」といふ言葉が新聞やテレビで頻繁に報道された。筋萎縮性側索硬化症のことである。
 強い衝撃をもって、ルイズ・コートさん(以下、ルイズさん)のことを思ひ出した。
 ルイズさんは、私の友人のアメリカ人である。そのルイズさんがALSに罹ってゐるのだ。ワシントンで一人暮らし。どうしてゐるだらうか、と思った。
 ふりかへれば、ルイズさんとは四十年以上ものつきあひになる。ルイズさんが京都大学に留学したときに出会った。当時、私は、民俗学のフィールドワークとして、やきもの(生活雑器)の調査で窯場を巡り歩いてゐた。ルイズさんも、信楽焼(滋賀県)を対象にやきものの研究に取り組まうとしたときであった。そこで話が合ひ、以来共同研究や執筆などを通してのつきあひが続いてゐる。
 ルイズさんは、帰国後にスミソニアン・フレア美術館に勤め、東洋美術を担当。そのため、日本との往き来が絶えることはなかった。
 そんなルイズさんが、一昨年夏に美術館を辞めることになった。私と同年齢なので、日本ではとうに定年退職だが、アメリカでは特別研究職には定年がない、といふ。それが、突然に辞める、といひだしたのだ。
 それは、ALSの発症を宣告されたからであった。
 その秋に、来日した。もう来られなくなるだらうから、といって、親交を深めてきた美術館・博物館の関係者に会ひに来たのである。
 私は、彼女が東京で宿泊する高級ホテルのバーで会った。それまでは質素で人並みを通してきた彼女がなぜこんなホテルに、と怪訝に思ったものだ。
 彼女は、杖をつきながらやって来た。
 ALSではわからないだらうから、と、筋萎縮性側索硬化症と書いたメモを示しながら、「たぶん、あと五年ほどで」と。私は、驚いて言葉もなくワイングラスを空けた。
 そのルイズさんに、久しぶりに電話をした。
 思ったより元気な声で、「おかげさまで、小康状態です」と。定期的にヘルパーさんに来てもらひ、食事は宅配で間に合ってゐるといひ、コロナウイルスの感染が怖いので、三カ月以上まったく外出してゐない、といふ。
 「アメリカは、銘々が自由で、マスクをする人もしない人も。これは病気ではない、とうそぶく人も少なくありません」。
 神に疫病封じを祈る人は少ないでせう、ともいった。コロナウイルスの感染や対策で、日米や老若の違ひを話し合ふことになった。
 最後に、ルイズさんが笑ひながらいったものである。
 「神崎さん、岡山の神社にお帰りになったら、これ以上コロナウイルスの感染が拡大しないやうに、しっかり拝んでくださいね」。
 私のALSも進行しないやうに拝んでくれ、とはいはなかった。
(民俗学者、岡山・宇佐八幡神社宮司)

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