文字サイズ 大小

杜に想ふ 恩送り 涼恵

令和2年09月14日付 5面

 ここのところ、周りの方々にお世話になりっぱなしの自分を痛感してゐる。新型コロナウイルスの影響を誰しもが受けてゐる中、直接逢ふことが難しくても、相手に想ひを送ること、行動で示せることはあるものだと、御恩をいただくたびに教はる。このいただいた御恩を私はきっと一生かかってもお返しできないだらう……と年を重ねるほどに思ふ。
 皆様は恩送りといふ言葉を御存じだらうか。それは「鶴の恩返し」で語られるやうな、善意をいただいた相手に直接お返しするものではなく、親切にしていただいた御恩を、今度は自分が別の誰かに送る。さうして送られた恩を、受けた人がさらに別の人に渡してゆくことで、恩がこの世の中に循環してゆくといふもの。恩返しに比べると耳慣れない方もいらっしゃるかもしれないが、江戸時代に竹田出雲らによって創作された浄瑠璃及び歌舞伎の演目「菅原伝授手習鑑」にもこの言葉が出てくる。古くからある思想だといふ。
 海外でも恩送りに似た考へ方があり、ペイ・イット・フォワードといふさうだ。直訳すると「先に支払ふ」といふ意味なのだが、二十年ほど前には実話をもとに同名の小説が生まれ、そこから映画に発展し、財団もある。仏教界では四恩といって、人は生まれながらに四つの御恩をすでにいただいてゐるといふ教へがあるさうだ。
 恩といへば、私には真っ先に「恩頼」が浮かんでくる。初めてこの言葉を耳にした時は、確か小学生の頃だったと思ふのだが、父が奏上する祝詞の中でその響きに感動した。それから幾年の月日が流れてゐるが、今でも毎日、恩頼を感じて生きてゐる。
 恩人。私にはありがたいことに恩人と言へる方がたくさんいらっしゃる。感じやすく思ひだけで突っ走ってしまふ未熟な私に対して、時に叱ってくださり、背中を押してくださり、自身の体験を通して教へ導く。真っ先に両親の顔が浮かんでくるのだが、恵まれたことに、その限りではない。お手本にしたいと心から思へる先輩神職さんたちが全国にいらっしゃる。
 先日、お世話になってゐる神社にお礼参りに行った時のこと。神恩感謝の御祈禱を受けたのだが、その祝詞の内容に深い感銘を受けた。神職の唄ひ手として活動することに励ましと期待を籠めて書き上げられた祝詞の内容に心から涙した。少しでも恩返しがしたいと思ってお参りしたのに、むしろこちらがまた恩頼をいただいてしまった。情けないやらありがたいやらで、背筋が伸びて、頭が下がった。
 人間は一人で生きていくことはできない。親をはじめ、たくさんの人々に支へられ生きてゐる。まだまだ神様と人の恩に頼ってばかりの人生だが、どんなに時間がかかっても、恩返しは直接叶はないとしても、この命ある限り恩送りを心掛けて生きてゆかうと思ふ。
(歌手、兵庫・小野八幡神社権禰宜)

オピニオン 一覧

>>> カテゴリー記事一覧