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杜に想ふ 伝承のために 神崎宣武

令和2年11月16日付 4面

 私の郷里の吉備高原(岡山県)の村里では、十一月と十二月が「まつり時期」である。
 はじめのころに氏神の例祭があり、次に産土荒神のまつりがある。荒神は、ほぼ小字単位に祀る地神の親神的な存在で、例年のまつりは小規模であるが、七年とか十三年ごとの式年祭は、氏神の例祭をしのぐほどのにぎはひとなる。十二月中旬になると、株神のまつりがある。本家・分家関係の同姓集団で大小があるが、なごやかなまつりである。
 神楽(備中神楽)は、氏神の例祭と荒神の式年祭に奉納される。その神楽が、今年にかぎっては、ほとんど中止となった。新型コロナウイルスの感染防止のためである。いたしかたないことだが、来年は復活することを祈念したい。
 そんな土地柄であるから、私は、備中神楽の神楽太鼓になじんでゐる。民俗学のフィールドワークに出る機会ができてからは、各地の神楽も観てきた。
 先日も、宮崎県が主催の「神楽フェスティバル」に出かけた。宮崎県には、国の重要無形民俗文化財が四件あり、県内には二百を超える神楽保存団体があって、三百ほどの集落で神楽が催行されてゐる、といふ。全国でいちばんの神楽どころである。
 宮崎県総合博物館では、「みやざきの神楽」展が開催されてゐた。その特別展では、「祓い清める」「神を招く」「神と遊ぶ」「神に願う」とコーナーを分け、それをつないで神楽になじむストーリーが組まれてゐた。神事を重視しての試みとしては、劃期的なことであった。
 かつて、神楽は、民俗芸能といふことで神事とは切り離してとらへられる傾向にあった。文化財行政でも民俗学でも、神楽場への神迎へとか頭屋(当屋)の家への遷座などは無視される傾向にあった。それが、近年は、少しづつ是正されてもきたのだ。喜ばしいことである。
 ところが、神楽の伝承といふことでは、過疎化が進んだ集落ではむつかしいところもでてきてゐる。コロナ禍が長引くと、復活がおぼつかないところもでるだらう。
 そこで、何を省いて、何を残すか、を考へる時期でもある。なりゆきにまかせるわけにはいかない。また、記録保存をはかるにも、その修正をしなくてはならない。とくに、神楽歌と台詞を古語にのっとって一部修正しなくてはならないだらう、と私は思ってゐる。
 たとへば、備中神楽で須佐之男命が出自を名乗るとき「ナギナミの命」といふ言葉が出たりする。伊邪那岐命、伊邪那美命、といふべきところが縮められて伝へられてゐるのだ。私は、そのつど注意をするが、かうした単純な間違ひが随所にでてくるはずである。
 文化財の担当者も民俗学者も、そして神楽の伝承者も、これからいかに正統に伝承をはかるか。衆知を集めたいところである。
(民俗学者、岡山・宇佐八幡神社宮司)

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