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杜に想ふ 牛との歩み 神崎宣武

令和2年12月21日付 5面

 某雑誌から来年の丑年にちなんでの小文の依頼があった。「歴史から丑年を占ひ、できれば良い予測を紹介してほしい」、といふことであった。それは、私には荷が重い。易断暦の類に頼るしかないだらう。と、そのところは、やんはりとお断りした。
 あらためて、牛について考へてみた。
 私は、吉備高原上(岡山県)の農村で生まれ育った。そのころは、牛(在来種)は、家族の一員であった。
 牛舎が別棟に設けられてゐる家もあった。が、古くさかのぼれば、それは玄関脇の土間に設けられてゐる例が多かった。囲炉裏端からのぞける位置であり、鳴き声が届くところでもあり、家族の誰もが牛になじんでゐた。
 ひとり私の郷里だけでなく、西日本の農家では、一頭か二頭の牛を飼ってゐた。鞍下牛とか預け牛とかいって、博労(牛馬の仲買人)から預かって養育してゐたのだ。その養育費はもらはないが、使役には自由に使へた。水田を耕したり荷物を運んだりするのに役立ってゐたのである。
 その飼料のために、毎日のやうに草刈りをしてゐた。したがって、家まはりの景観も自然に整へられてゐた。現在は、時期をかぎっての草刈りが相当の重労働となってゐる。
 耕運機やトラックが普及する、ほんの半世紀ほど前までのことであった。
 正月には、牛舎にも注連縄を張り、小餅を供へてゐた。それは、家族ともどもに牛の健康を祈念してのことであり、五穀豊穣を祈願してのことであった。周防(山口県)の猿まはし(猿曳き)が巡ってくるのも正月で、それをウマヤギトウといった。しかし、そこでは、牛を相手の祈禱もおこなはれてゐたものである。
 天神信仰と牛との不断の関係は、知る人ぞ識るところであらう。菅原道真の案内牛の伝説から、「牛乗り天神」の像や人形がつくられてゐる。神社の境内に、「撫で牛」の像が設置されてゐるところもある。その牛を撫でると、身体の病んだところが治るとか、縁起直しができるとかの俗信が伝へられてゐる。古く京の花柳界から生じた、ともいふが、定かではない。
 「牛に引かれて善光寺(参り)」といふ諺も、よく知られるところであらう。
 下世話には、「牛は、鳴き声以外は捨てるところがない」、といはれた。皮は、皮製品に。角は、工芸品に。糞尿は、肥料になった。もちろん、その肉や乳は、食用に供される。私たちは、歴史を通じて牛を有用としたのである。
 「牛の歩み」(牛歩)、ともいふ。遅々として、といふ意味に相違ないが、「牛に汗す」、ともいふ。牛が汗をかくほどの重さの意だが、それでも、たゆまず歩むのが牛の牛たる美徳なのだ。
 新年は、丑年。走らなくてもよい、一歩一歩を大切に、と愛しい牛が教へてくれてゐる。それはともかくとしても、良き新年でありますやうに。
(民俗学者、岡山・宇佐八幡神社宮司)

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