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杜に想ふ 希望は覚悟 涼恵

令和3年01月11日付 5面

 謹んで年頭の御祝詞を申し上げます。
 旧年中は新型コロナウイルスの感染拡大が続き、読者の皆様もさまざまな現場で価値観や働き方、家族との時間などに変化が生じたといふ方が多いのではないだらうか。
 筆者も例外なく、公私ともに大きな影響を受けた年だった。日頃何気なく選んでゐる日常が、実はとても贅沢な時間だったのかもしれない。さう何度も思ひ知らされた。失ふほどに得るものがある。求め合へば足りなくなるのに、分かち合へば余る。そんな境地をこの一年でまざまざと感じさせられた。
 直に会ふ対面よりリモートで集合することが主流になりつつある昨今。見える見えない、近い遠い、そこに居る居ないを越えたあらゆる可能性を、今できることと柔軟に結び付けてテクノロジーの速さや利便さを知った。大切なのは、どんな環境においてもハードではなくソフト。内容が大事なのだ。
 いろいろな情報や見解が交錯する中で、個人的にとくに印象に残ったのが、インドの思想家サティシュ・クマールの一文として紹介されてゐた中の言葉だった。「私たちは人類は分かち難き自然の一部であることを理解する必要がある。私たちが自然に対しておこなうことは、私たちが私たちにすることと同じなのだ。私たちは自然と結びついており、互いに関連しあっている。新型コロナウィルスは私たちが相互に関係しあっていることを示している」(「greenz.jp」https://greenz.jp/)。まだまだ先が見えない現状ではあるけれど、恐れの先には希望がある。希望を抱くと決意することは、決して夢見がちな訳ではなく、むしろ信念とも言ふべき己に覚悟する行為なのだと、今の私は実感してゐる。
 それぞれの立場や環境の中で、圧倒的な現実が立ちはだかり、綺麗事では済まされない事柄があると思ふ。自分ではどうにもならない他者や外部からの影響を受けて、倒れさうになる。味方だと信じてゐた人が目の前から去り、嘘のやうに冷たく利益だけを持ってゆく。かと思ふと、想像もしてゐなかった方からの支援によって助けられたりもする。
 その人の生来の性格によるものなのか、環境がそのやうな行動をさせたのか。いづれにしても、今まで思ひ込んでゐた価値観や関係性は良くも悪くもふるひに掛けられ、人間の本性が浮き彫りになる。傲慢な態度や執着心を抱くことの愚かさを私は学んでゐる。ほどほどでちゃうど良い。
 明治天皇御製が心に滲みてくる。
 「いかならむ時にあふとも人はみなまことの道をふめとをしへよ」。
 御神前に向かって手を合はせてゐると、足りないものなど意外となくて、身一つあることの豊かさを知るばかり。まことの道とは何か……未熟者の自分にはわからないけれど、地に足をつけ歩み続ける。
 この新しい年が、皆様にとってより佳き年となりますやう、心よりお祈り申し上げます。
(歌手、兵庫・小野八幡神社権禰宜)

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