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杜に想ふ 手を合はせる 涼恵

令和3年02月08日付 4面

 新年の御奉仕のたびに、気持ちを新たに感じ入ることがある。それは、人が祈る姿とはなんて美しいのだらう……といふこと。どんな人でも御神前に手を合はせる姿から、その人の本質的な姿を窺ひ知ることができるやうな気がする。
 どこか強面のをぢさんも、いつもはふざけてばかりのお兄ちゃんも、ちょっぴり神経質さうな御婦人も、老若男女世代を越えて、御神前に向かふと、自分の世界に入り込み、頭を下げて、手を合はせ、静かに目を閉ぢて祈りを捧げる。温かな光が差し込んでくる。言葉では表現できない尊さが確かにそこには存在してゐる。
 日頃は見せられない御自身の本当の姿が神様の前では露はになるのかもしれない。どんな人でも純粋無垢な姿になり謙虚に手を合はせてゐる。その一瞬の美しさに思はずハッとする。神社に奉仕する者として、内側にゐるからこそ、そんな参拝者の姿を見せていただけることがひじょうにありがたく、とても幸せなことと感じて已まない。
 そんな祈りを捧げる場所である神社のお役目は大きい。今年はとくに新型コロナウイルス感染症流行の影響を受けるなかでの年明けとなったので、各神社において今まで通りではなく、初詣に策を講じることが余儀なくされた。
 大きなお宮では時間によって閉門をすることで、混雑を避け分散参拝を呼び掛けるところも多かっただらう。実際に年が明けてみると、私が奉仕する民社では多少の減少はあったとしても、それほど大きな影響はなく、むしろ驚いたことに例年よりも神宮大麻を受ける方が多かったほどだ。これは、いつもお正月三が日でお詣りされてゐた大社ではなく、地元の神社でお守りやお札を受ける方が多かったからだと思はれる。
 ある大社に勤める神職の友人は、約八割減の影響があったと教へてくれた。大社では閉門をして対応すると最初に聞いた時、個人的には仕方ないこととは思ひつつ、どこかで心が痛んだが、少しの疑問を抱いた自分が浅はかだったと恥づかしくなった。こんな時だからこそ、開門して参拝者を迎へるべきではないかといふ思ひがどこかにあった。しかし、大きなお宮では大きなお宮だからこその対応があり、その決断によって分散参拝が実現したのだ。ある意味とても日本人らしい責任の果たし方を見せていただいたのだと、教はった。現実的なところでは大きな痛手も予想されたことだらう。
 大社は大社の役割と守り方があり、民社は民社での役割と守り方がある。だからこそ力を合はせることで一丸となって、国民が安心安全に祈りを捧げられる場所を日本全国でお守りしてゆくことが何より大切なのだと教はった。変はらない祈りのために。改めて神社界の結束力を強く感じてゐる。
(歌手、兵庫・小野八幡神社権禰宜)

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