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論説 二月の祝日と祈り 悠久の歴史と祭祀への思ひを

令和3年02月22日付 2面

 令和の御代の二月は、建国記念の日と天皇誕生日といふ国民が毎年こぞってお祝ひすべき「国民の祝日」が二日ある重要な月である。
 建国記念の日の二月十一日は、「仰ぐ今日こそ楽しけれ」と歌はれたかつての紀元節であり、初代・神武天皇の即位日を祝ひ、雄々しき建国の偉業を遙かに偲ぶとともに、国を愛する心を喚起する日である。また二月二十三日は、その神武天皇より連綿と続き、現在は第百二十六代を数へる万世一系の天皇陛下の御生誕日をお祝ひ申し上げる日である。このやうに二月は、わが国の悠久の歴史を回顧し、誇るべき国柄を思ひ起こすのに洵に相応しい大事な月といへる。
 先の大戦後、GHQによる占領下で国民の祝日に関する法律が制定された際、残念ながら紀元節は廃除された。しかし独立恢復とともに神社界が中心となり紀元節復活の国民運動を起こし、昭和四十一年に建国記念の日として復活させたのであった。令和の御代に生きる我々は、この昭和の先人たちの尊い努力を忘れてはならない。

 紀元節復活五十五年を迎へた今年は、国難ともいへる外来の新型コロナウイルスの悪疫が収束の兆しを見せず、国民生活と社会経済に困難がともなふなか、建国記念の式典や行事も残念ながら一部中止や規模縮小を余儀なくされた。都内では「日本の建国を祝う会」が奉祝中央式典を例年より規模縮小し、神社本庁二階大講堂で開催。橿原神宮はじめ全国の神社でも紀元祭や建国記念祭などが斎行されたが、参列者を制限するなどの対応を迫られた。
 皇居では天皇陛下が宮中三殿で御拝遊ばされ、橿原神宮には勅使を差遣されてゐる。しかし天皇誕生日の一般参賀は新年に続いて中止となり、昨年は地方への四大行幸がおこなはれなかったことなどもあり、陛下が直接に国民と接せられる機会が極めて少なくなってゐるのは残念なことである。それだけに斯界においては、引き続き新型感染症の早期終熄を祈念するとともに、天皇と皇室の御存在のありがたい意義と大切さを説いて皇室敬慕の念の喚起に努めなければならないといへよう。

 神武天皇の建国から近現代に至るまで、わが国は国外の脅威や大規模自然災害、疾病の蔓延など幾多の国家的危機に遭遇してきた。歴史を繙けばわかるやうに、そのつど天皇が中心にをられて事態を憂慮され、神々に祈られるとともに詔を発せられ、官民が協力して団結するなかで危機を乗り越え、秩序と平穏を恢復してきたのである。
 本格的な疫病流行の最初の記録は、『日本書紀』巻第五の崇神天皇の御事績のなかに見られ、そこには「国内に疾疫多くして、民死亡れる者有りて、且大半ぎなむとす」とある。百姓の流離、背叛の勢ひを徳を以て治め難く、天皇が朝に夕に天神地祇に祈られ、神意のままに神祀りをおこなはれたところ疾疫が止み、国内はやうやく静まって五穀が稔り、百姓も賑はひを取り戻したといふ。
 また奈良時代には天然痘が流行し、聖武天皇が「大仏造立の詔」を発せられるなどして鎮静に努められたこともよく知られるところである。このやうに古来、天皇の祈りと統治は国民の災難と深く結びついてゐたのである。

 二月は、この二つの国民の祝日があることに加へ、斯界にとって極めて重要な国家国民の安寧や年穀の豊穣を祈る祈年祭の月でもある。二月十七日、宮中では天皇陛下出御のもと祈年祭が斎行され、伊勢の神宮では勅使参向のもとで、また各地の神社においてもそれぞれ大祭が執りおこなはれてゐる。律令時代には国家的な祭祀として重要な意義を有し、各神社への奉幣がおこなはれてゐた。明治になると皇室祭祀令で紀元節祭や天長節祭などとともに祈年祭についても定められ、奉幣も改めて制度化されてゐる。
 崇神天皇の詔に「農は天下の大きなる本なり。民の恃みて生くる所なり」とあるごとく、古来、天皇は国家国民の安寧を願はれ、その基盤、大本として春には年穀の豊穣、秋にはその収穫への感謝の祈りを捧げられて今日に至ってゐる。昨今の自然災害の多発をはじめ、環境問題や食の安全保障などわが国を取り巻くさまざまな課題に鑑みても、祈年祭の持つ国家的な意義を再確認しつつ、改めてその大切さに思ひを致さなければならない。
令和三年二月二十二日

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