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杜に想ふ 鮮明な記憶 神崎宣武

令和3年03月22日付 4面

 思ひたって、蔵書の整理をはじめた。
 ところが、処分の思ひきりがつかないことおびただしい。本を手に取りパラパラとページをめくると、それを入手したころの思ひ出がよみがへってくるのだ。
 その中の一冊に、牛尾三千夫さん(明治四十年〈一九〇七〉~昭和六十一年〈八六〉)の『美しい村』(正・続)がある。牛尾さんは、民俗学者であり、神官であった。島根県の桜江町(現、江津市)に住まはれてゐた。
 はじめてお会ひしたのは、昭和四十九年(一九七四)、広島県三原市の民俗調査のときである。師宮本常一(明治四十年~昭和五十六年〈一九八一〉)に随行したそのときは、六、七人の調査員がお集まりで、三日間の初日と最終日の夜に意見交換会が催された。私は、もちろん末席に座すだけであった。
 牛尾さんは、「民俗芸能と民謡」の担当であった。とくに、三原では盆踊りと音頭に注目して調査をなさってゐた。じつに穏やかな口調で淡々と報告をなさる。が、一転して、手拍子をとりながら採集してきた音頭を朗々と唄はれる。録音もせずに、直ぐに暗唱できるとは、と心底驚いたものだ。
 一年後にお目にかかったときに、その民謡採集法についてたづねた。
 「なあーに、歌には型がありましてね。自分で手を叩いて合ひの手を入れると、だいたい鼻歌程度には唄へるもんですよ」。そして、「石見と備中の違ひもあるが、サンヤーサンヤーの合ひの手は同じだから、御神楽をやってみますかね」と、私を誘はれた。
  〽サンヤーサンヤー この御座に参る心は天地の 開きはじめの心なるもの サンヤーサンヤー
 中国山地での神主は、太鼓を打ちながら祈祷をしてきた。細い撥での横打ちの太鼓。練習のときには、両手で両膝を打ちながら覚える。私も、祖父からさう習ってはゐたが、まだ未熟で、赤面しながら追従した。
 私が、御神楽祈祷が大事、と意識するやうになったのは、このときからである。
 牛尾さんからは、もうひとつ大事なことを教はった。「時々に和歌をよんでおきなさい。フィールドノートの余白に、それを書いておくと、そのときの情景を忘れずに残せるから」と、静かに諭された。
 『続美しい村』のページをめくると、そのことが鮮明に思ひだされた。安芸から備中・備後の神楽採訪記の冒頭に和歌がよまれてゐるのである。
  荒神の 松にのぼりて 灯をともす
  即ち 神に近づくらしも
 荒神祭りの情景が描けるではないか。
 柳田國男や折口信夫(歌人名は、釈迢空)、それに宮本常一も和歌をたしなんでゐた。牛尾さんからそのことも教はったにもかかはらず、私は、頓着しなかった。
 嗚呼、と頭をかかへて、蔵書整理は中断することにした。
(民俗学者、岡山・宇佐八幡神社宮司)

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