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杜に想ふ 境界線 涼恵

令和3年04月12日付 5面

 ここのところ、神職として言挙げすることの難しさと同時にその必要性を痛感してゐる。今年に入って流行り出した音声アプリに「クラブハウス(Clubhouse)」といふものがある。会員制のラヂオのやうなもので、それぞれ興味のある主題を掲げたクラブが、部屋を作ってお喋りする。聞き手は自由に出入りができる。すでに神社関連のクラブが二十以上できてをり、毎日のやうに神社や神道、神話にまつはる会話が自由にくり広げられてゐる。そんな流れを受け、私も神職仲間とクラブを作ることとなったのだが、その背景となってゐる状況には、いまだ葛藤がある。
 ここ数年、直に自分の足と目で、もしくは本や先生から学ぶよりは、インターネットから情報を得る人が増えてゐる現実を目の当たりにする。しかしながら、ネット上に溢れ返る情報の中に、真実はどれだけ存在してゐるのだらうか。虚偽や思ひ込み、いささか独りよがりな解釈も含まれてゐるやうな気がしてしまふことも少なくない。
 ただ、一般の方はネットからの情報収集に重きをおく流れがあるのも事実。神社界でもSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を利用した発信が必要なのかもしれない。ただこの線引きがとても難しい。境界線。垣根を越えて相手を尊重することを実践したいけれど、何でもかんでも受け入れて善いものではないと考へる自分もゐる。
 門外不出だから守れるものが確かにある。守破離のどの辺りに位置してゐるのか。いはゆる「スピリチュアル系」の人たちが、神社や神道について語ることに時々違和感を覚えることがある。自分本位な捉へ方で留まってはゐないだらうか、出しゃばった物言ひになって、まだ浅い部分を大袈裟に話してしまってゐないか、と自戒もこめて心が騒ぐ。
 ことの善し悪し。住み分けと線引き。「差別ではなく区別は時に必要だ」と、母もよく私に伝へてくれた。
 『古事記』の上つ巻の冒頭にも描かれてゐる。天地開闢のくだり、十二番目と十三番目に誕生した対の神様は、意富斗能地神と大斗乃弁神。西宮一民先生の解釈では、偉大な門口にゐる父親と女。広大無辺な大地が隅々まで固まり、位置が決まる。そして、次に誕生する神、於母陀流神に表れるやうに、境界ができることで、無限大で無限小の世界が成り立ち、満ち足りてゆく。限りがあることによって無限といふ概念も生まれる。
 情報過多に苛まれる現代人に、我々神職はどんな角度から、この神道の精神を伝へ守り抜いてゆけるのか。思ひ悩む私に、恩師が掛けてくれた言葉が印象に残ってゐる。
 「どんな人でも必ずどこかのお宮の氏子だから」。
 それこそがきっと神道の心の真髄だと、直感した。未だ何が正しいのか答へは見えないけれど、まだまだこれから、できることはある。(歌手、兵庫・小野八幡神社権禰宜)

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