文字サイズ 大小

杜に想ふ 明鏡止水 涼恵

令和3年07月12日付 5面

 畏れ多くも、今年も靖國神社でおこなはれる「みたままつり」に揮毫を奉納させていただいた。
 「みたままつり」は戦歿者を慰霊するため昭和二十二年に始まり、今では東京の夏の風物詩として親しまれてゐる。
 私自身も神戸から上京してからは、毎年詣でて、参道に掲揚される色とりどりの雪洞に見惚れつつ、想ひの籠もった一つ一つの作品から学びを得てゐる。時にハッとする言葉や、心に訴へかける絵が描き込まれてをり、暗闇に浮かぶ灯火がまたなんとも美しく凛として、今の日本の平和を築いてくださった存在を感じさせる貴重な祭りの一つである。
 まさか、数年後に自分が揮毫させていただくことになるとは露とも思ってゐなかったので、毎年この時期になると身が引き締まる。浮かれてなどゐられない。至らない自分ではあるが、神職の唄ひ手として、僅かでもお役目をいただいてゐるのだと心して受け止めようと思ってゐる。
 長い間、観る側として心動かされてゐたからこそ、自分なら何を記すのか? 毎年のことながら悩んでしまふ。また昨年は新型コロナウイルス感染症拡大の影響を受け中止となってゐたので、二年振りの奉納となる。この流れを受け止めながら、目を瞑ると、「明鏡止水」といふ言葉が心に浮かんできた。
 心を水に喩へるならば、私の心は揺れてばかりだ。鏡のやうに映す状態になるまでにはまだまだ修行が足りないと反省する。悲しいことも嬉しいことも、日々の生活の中で皆誰しもが体験する彩り。派手で一風変はった生き方よりも、穏やかな日々や安らぎの時を追ひ求めてゐる。
 その割に、世間からみると、私の生ひ立ちはどうやら珍しく映ってゐるやうだ。生まれは海外で、血統は歴史上の人物の家系、育った環境は神社。一般の人からは、物珍しい印象を持たれることも少なくない。だからこそ、静かに己と向き合ふ時間が必要となる。表面ではなく物事の奥に真理を捉へたい。
 内宮の五十鈴川の御手洗場が、ふと脳裏に甦る。とても神祕的な場所で、水は絶えず流れてゐるはずなのに、何故か止まったやうに感じられる瞬間がある。今の自分が置かれてゐる立場や成すべきことが水鏡に映し出されるかのやうに、どこか俯瞰して次の展開を教はったやうな気になる。
 祝詞に出てくるこの言葉が私は好きだ。“心穏ひに身健やかに夜の守り日の守りに……”
 明鏡止水の対義語は「疑心暗鬼」だといふ。コロナ禍中でやうやくワクチン接種が進む今、多くの情報が巷を賑はせてゐる。未知の領域に不安になるのも頷けるけれど、平和だからこそ迷ひ悩むことができるのかもしれない。生あるからこその選択。戦中戦後を守り抜いてきた先人の礎を決して忘れずに、心穏ひに過ごしてゆけたらと心から祈ってゐる。
(歌手、兵庫・小野八幡神社権禰宜)

オピニオン 一覧

>>> カテゴリー記事一覧