文字サイズ 大小

杜に想ふ 続・花ごよみ 涼恵

令和3年09月13日付 5面

 今回は、以前掲載された「花ごよみ」に書き切れなかった花物語を綴ってみたいと思ふ。
 筆者が真っ先に浮かぶお花との思ひ出は、阪神・淡路大震災の時のこと。当時、高校生だった私はいつもの通学路で、ふとリヤカーで売られてゐたお花に目が留まった。少し落ち込んだ雰囲気の三ノ宮の街中には、いつもあるところにないもの、いつもないところにあるものが混在してゐて、なんとも形容し難い空気が流れてゐた。
 リヤカーもその一つだった。お花屋さんなんて、こんなところにはなかったけれど、街角に佇む色とりどりの花々は、私の心を一瞬で和ませてくれた。ピンクのガーベラを一輪だけ買って帰った。早速、ガラスの花瓶に水を注ぎ、水切りしたガーベラを挿した。私の部屋に連れて行くと、それだけで部屋がふはぁっと明るくなったやうな、いつもと違ふ存在を感じられた。
 自分でも気が付かないうちに、落ち込んでゐたり、余震に怯えてゐたりと気を張ってゐたのだらうか、お花が一輪あるだけで、私の心は安らぎ、豊かな気持ちになってゐた。震災後は眠りが浅く、少しの揺れがあるだけですぐに目が覚めてしまってゐたけれど、久しぶりにぐっすりと眠ることができた。毎日そのガーベラと過ごしてゐると、気が晴れるやうに明るくなった。
 切り花の一般的な寿命は冬でも二週間くらゐと聞くが、その時期を過ぎてもガーベラは信じられないくらゐ瑞々しく保たれて、枯れるどころか日に日に美しくなるかのやうだった。一カ月が過ぎた。さすがにもうそろそろ寿命が来てしまふのではないかと、内心ハラハラしながら学校へ通った。ある日、帰宅すると、夕日に照らされたガーベラの花は、まるで羽根を広げたやうに花びらが舞ひ散り頭を垂れてゐた。一重咲きのガーベラの構造的なこともあるのだらうけれど、中心の方は白い花弁の一枚一枚が本当に羽根のやうに解けて舞ってゐたのだ。涙が溢れて止まらなかった。「花は枯れるなんて言ふけれど、きっと違ふ。花は天使に還るんだ」と直感した。人間の悲しみや恐怖心を吸ひとって、その一生を終へるのだと。忘れられない鮮明な記憶の一つ。
 「花の祈り」といふ自作品がある。この楽曲は、九・一一同時多発テロの映像をテレビで見てゐた際に、身体中から歌詞と音楽が同時に鳴り出したもの。あれからもう二十年。人間であれば成人してゐる月日が流れたのだ。言葉に仕切れない想ひが過ぎる。
 もしもお花が言葉を話せたら? 我々人間になんて語りかけるのだらう。どんなに文明や科学が進化しても、人間は花一つ創り出すことはできない。自然と人間との関係は二十年前と比べてどうだらうか。コロナ禍がなかなか収まらない今、自戒もこめて胸に手を当てて向き合ひたい。
(歌手、兵庫・小野八幡神社権禰宜)

オピニオン 一覧

>>> カテゴリー記事一覧