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論説 地位確認の判決控へ その先の大同団結のために

令和3年09月13日付 2面

 神社本庁からの免職及び降格・減給の処分を不当として元参事二人が処分の無効確認等を求めた民事訴訟の控訴審判決が、九月十六日に東京高等裁判所で予定されてゐる。
 この訴訟は平成二十九年八月に懲戒解雇された稲貴夫氏と参事から主事へと降格・減給された瀬尾芳也氏が、同年十月に提訴したものである。
 今年三月の地裁判決では、免職については雇用契約上の権利を有する地位にあることを、また、降格及び減給については無効であることを確認するとともに、神社本庁に未払ひ分給与等の支払ひが命じられた。
 稲氏の懲戒処分は、神社本庁の百合丘職舎売却をめぐる役職員の背任行為の存在等を主張した「檄」と題する文書の作成・交付などに関はるもので、判決では「背任行為は真実であるとは認められないものの、当時、真実と信じるに足りる相当の理由があった」旨を説示し、公益通報者保護法の趣旨に基づき懲戒すべき事由とはいへないなどと判断。また、瀬尾氏については処分理由の四点のうち三点を懲戒事由に該当しないとし、残る一点については「懲戒事由に該当するものの降格は重きに失する」旨を判示した。
 地裁判決を受け、神社本庁では役員会で控訴を決定。六月八日に東京高裁で控訴審の第一回口頭弁論があり、人証調べなどはおこなはずに弁論を終結してゐる。



 訴訟自体は労使間における地位確認請求事件で、いはゆる労働裁判といへよう。ただ訴訟をめぐる経緯や一部報道等の影響から、ややもすれば本庁内における不当な支配や党派的な争ひなどといったことが強調されがちな面もあるのではなからうか。いづれにしても斯界内部において対立が先鋭化し、訴訟といふ形で表面化してゐるなどと見られれば、実際の内容や当事者たちの思ひがいかなるものであっても、氏子・崇敬者をはじめ世間一般からのいらぬ不信を招かざるを得ない。
 多事多難な昨今、そもそも国家国民の安寧を祈り、国の修理固成に努めるべき神社界において、関係者同士による訴訟が生じるに至ったことは洵に遺憾である。またその長期化は当事者双方はもちろん、斯界内外にとっても決して望ましいことではないだらう。



 今年は昭和二十一年の神社本庁設立から七十五周年の節目にあたる。
 本庁の設立に際しては、各神社の独立性を尊重した上で、その連合体を組織して神社祭祀の維持を図らうといふ「神社連盟案」と、一般の宗教のやうな管長制を採用し、管長が教義の裁決権を持つなど上意下達のピラミッド型の組織を目指す「神社教案」といふ二案が示された。関係者による議論の末、「神社連盟案」を軸に本庁は設立されたが、特定の教義などを設けず、それぞれの自主性を認めた緩やかな連合体とすることで、より広範な神社・神職の結集・結束が図られ、戦後の混乱を乗り越えるべく斯界の大同団結を促すことに繋がったともいへよう。
 さうして設立された神社本庁も七十五周年を迎へ、明治維新に始まる近代以降の戦前の歴史と、ほぼ同じだけの歳月を重ねてきた。その組織・体制は当初、「つぎはぎだらけの戦災バラック」などといはれたやうに急場凌ぎのもので、必要に応じて規程等の加除修正がおこなはれてきたのである。しかし中核となる神学・教学よりも、外殻を優先的に堅固にしてきたといふ点も指摘できよう。もとより人々の生活や意識も大きく変化した。七十五年の歴史のなかで制度疲労があるのは当然で、絶えず確認に努めながら、不備があれば改善の方途を協議・検討していけば良いのである。



 振り返ればこの数年、さまざまなことがあった。感情的な面を含め容易に解消されないなわだかまりもあらう。ただ、間もなく明らかとなる控訴審判決がいかなる内容で、判決を受けて当事者双方がどのやうな対応を図るとしても、内部対立の先鋭化に向かふやうなことがあってはならない。なによりその対応の先に、斯界の大同団結があるのかが重要といへるだらう。
 神社本庁の設立当初から関係者が願ひ求めてきた大同団結のためにはいかに行動すべきなのか。自分だけが正しいと考へるやうな利己的独善に陥ることなく、斯界の一人一人が常に寛容性と謙虚さを以て真摯に考へるなかで判決の日を迎へたい。
令和三年九月十三日

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