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杜に想ふ 舶来物 神崎宣武

令和3年09月27日付 5面

 友人のH君から、「餡」についての問合せがあった。
 H君は、映像プロデューサーで、BSテレビの教養番組で「餡と和菓子」の特輯を企画してゐるのだ、といふ。
 餡の起源については、諸説がある。中国からの伝来説もある。
 私個人は、起源説を論じることにさほどの興味をもってゐない。民衆社会でいかに普及したかに興味がある。つまり、起源論より普及論。その間には、かなりの年代差が生じるのである。
 餡は、アヅキやササゲがあるからといってできるものではない。砂糖の添加が不可欠である。その砂糖は、日本では長く生産できなかった。江戸期でいふと、それは輸入品であった。つまり、貴重品であった。オランダの東インド会社を通じてのもので、市場への流通は、薬種問屋が取り扱ふものであった。
 江戸も中期のころから、餡を使った菓子が出てくる。餡餅(餡ころ餅)、饅頭の類である。さらに、結晶粒の細かい和三盆など高級菓子もでてくる。これらが、城下町や宿場町に出まはることになる。
 庶民にとっては、なほ高嶺の花ではあったが、それでも町に出たり旅に出たりするときに食べるのが楽しみとなった。
 東海道筋でみると、安倍川餅(府中宿)・かしは餅(二川宿)・まんじゅう(四日市宿)など。江戸や京都では、羊羹の商品化も。とくに道中記をみると、それらの甘い菓子を讚へる記事がしばしば出てくるのである。
 「饅頭こはい」なる落語もある。江戸中期につくられた噺と伝はるので、これも符合する。
 「砂糖ぶるまひ」は、その後長く伝はった。たとへば、夏に客が訪れたとき、冷たい井戸水を一杯ふるまふ。そのとき、砂糖をしっかりと入れたものである。また、旅館に泊まった朝の茶うけに梅干しが出されたものだが、それにも砂糖が添へられてゐた。昭和三十年代のころまでは、さうした砂糖ぶるまひがみられたものである。
 起源話と普及話の両方をどう扱ふかを検討されたい、とH君には答へておいた。
 そのとき、ふと気づいたことがある。祭事のときの神饌でも、餡、とくに餡餅が供へられてゐたのではないか、と。
 とはいへ、いはゆる明治祭式で生饌が中心となり、それ以前の各地でそれぞれあったであらう熟饌のほとんどが後退した。江戸時代にさかのぼって確かめるのも容易ではない。
 現行の神饌をみて、餡餅は疎まれた、としよう。ならば、舶来物の砂糖のせゐか。
 ちなみに、仏前には饅頭やぼた餅がよく供へられてゐる。
  朝食はパンなる我にて神仏にパンを供へて灯明をあぐ
(長澤和枝、短歌誌『龍』九月号)
 それぞれには、それでよろしいとしよう。
(民俗学者、岡山・宇佐八幡神社宮司)

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