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杜に想ふ 中継ぎ 涼恵

令和3年11月15日付 5面

 歳を重ねてゆくごとに、受け継いでゆくことの尊さを実感して已まない。
 筆者が奉職してゐる小野八幡神社は、今年で創祀千百三十四年を迎へた。
 神社をお護りするといふことは、人の一生を懸けたとしても時間が足りない。この身はすでに中継ぎなのだといふことを痛感するばかりである。悠久の時を重ね、先人たちがどんな想ひで各神社を護持してきたのか。きっとそれぞれの時代ごとにも、存続の危機や直面する問題があっただらう。現場で奉仕する神職たちが、試行錯誤をしながらも柔軟に対応し、克服してきたからこそ、今もなほ、幾千年と鎮まり、継承されてゐる神社が存在してゐるのだと思ふ。「不易流行」の精神を各神社のなかに見出すことができるのではないだらうか。
 御多分に洩れず、当社も護持運営してゆくことの難しさに直面した。阪神・淡路大震災の影響を受けて、再建を余儀なくされ、一昨年の九月に御本殿が、今年の二月には社務所が新たに竣功した。この再建に関しては、自分一人の力ではどうしやうもない現実的な難題に何度も直面したが、そんな厳しい現実のなかにあっても、遙かに多くの奇蹟ともいふべきお導きや感謝のほうが強く、神社といふ場所はそんな想ひの結晶なのだといふことを実体験を通して確信した。そして宮司である父への尊敬、弟の禰宜への信頼、家族との絆がより深まった。
 神社をお護りすることの難しさと大切さを学ぶほどに、神職は仲執持だと教へられることの意味がよく理解できる。神様と人との仲を執り持つ者。自然と人とを、過去と未来とを結ぶ仲執り持ち。
 敬愛する“先輩仲執持”のお顔が浮かび上がる。多感な幼少期から今もずっと、筆者はとても師に恵まれてきた。
 なぜこんなにも良き指導者や先輩に恵まれるのだらうか。自分の幼さや至らなさは自身がよく知ってゐるつもりだから、歩みの遅く理解が浅い自分にはうんざりすることも多々あるのだが、ただ一つ言へることは、己はまだ中継地点であるといふこと。教へていただいたことや、その恩恵を自分に留めず、次世代に伝へてゆくこと。まだお預かりしてゐる状態。だからこそ、余計な私的な感情や思ひ込みは加へずに、純度を保ってそのまま素直に伝へることを自分なりに心掛けてゐる。
 伝へ方は人それぞれ、与へられたお役目と場所は違ふのかもしれないけれど、先人から受け継いだ襷を自分で終はらせず次へと繋いでゆくことが大切なことだと受け止めてゐる。さうやっていつの時代も、親から子、師から弟子へと、誰かが誰かに教へ教はり、学びを重ねてきたからこそ、今の美しい日本が育まれてきたのだと思ふ。
 重ねられた歴史の末端にある者として、未来の子供たちへと優しく丁寧に橋渡しをしてゆきたい。自分がさうしていただいたやうに。
(歌手、兵庫・小野八幡神社権禰宜)

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