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杜に想ふ 信仰史 神崎宣武

令和4年06月20日付 5面

 倉敷市にある重要文化財(国指定)の井上家住宅を観に行った。
 母屋ほか四棟を数年以上かけて修理してをり、終了間近である。来春の公開に向けて、家具やその他の調度品(民具類)をいかに展示するか。関係者が集まっての意見交換をしてゐるその場に私も加はることになった。
 私は、この家代々の信仰の篤さに興味をもった。
 オブツマと呼ばれた表(接客空間)の座敷(四畳半)に仏壇がある。厨子に入った仏像があり位牌棚がある。このオブツマは、今後も井上家の祭祀継承に必要なために非公開とする予定である、といふ。
 裏(生活空間)のイマといってゐた座敷(八畳)の長押上(幅二間)には広い棚がある。神棚であるが、そこにあった神札類は裏の別宅に移されてゐる、といふ。
 そこから座敷を二つ(八畳間と六畳間)経て、主人の座敷(十畳)に通じる。その主人の座敷の縁側(南)を半分つぶしたかたちで二畳の小部屋がある。これを、コンジンサマノニジョウといった。金神を祀ってゐたからにほかならない。あはせて、そこに金光大神も祀ってゐた。これを、神棚でなくわざわざ別室を設けて祀ったといふことは、どうした理由だったのか。
 そして、土間には大ぶりの竈(台所の竈とは別)が設置されてゐて、そこにはオドクウサマと呼ぶ土公神が祀ってある。
 これだけ多くの神仏が祀られてゐる事例は、重文建造物のなかでも稀少であらう。そして、ある時代の信仰史をはかるのに貴重であらう。その他にも、庭に小社や瓦宝殿もある(祭神は、不明といふ)。
 意見交換会が終はった後、私は、御当主(第十六代)に丁寧に頼んでみた。別室に移してあるといふ神棚に祀ってあった霊舎や神具類を拝見できないだらうか、と。御当主は、しばらく無言であった。物置同然に散らかしたままの部屋に置いてあるから、と小声で断られた。私は無言で頷いて、しばらく間をおく。すると、それでよければ、と頷かれた。
 なるほど、足の踏み場もない。山積みされた段ボール箱の上、天井近くに霊舎がずらりと置かれてゐる。大小合はせて八舎。
 御当主が足台に上り、一舎づつ下ろすのを私が下で受けとる。扉を開けると、中には神札類がびっしりつまってゐる。が、それを引き出して確かめる余裕はない。作業空間の余裕がない。日暮れでもあり御当主の足場も気になる。そこで、日を改めて、と相なった。
 ざっと見ただけでも、神宮大麻・氏神(阿智神社)の神札・歳神の神札・荒神の神札、それに大黒・恵比寿の神像などなど。広い信仰圏を物語ってゐる。建物は、江戸期の復元を目指してきた。だが、神棚だけは「昭和の信仰史」でよろしいのではないか、と思った。
 御当主に、二人でじっくりと分類してみませう、と約束して帰ったことだった。
(民俗学者、岡山・宇佐八幡神社宮司)

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