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杜に想ふ それぞれの立場 涼恵

令和4年07月11日付 5面

 先日、あるお芝居を観たのだが、考へさせられる内容だったので、この場を借りて、私が感じたことを述べさせていただきたい。
 それは、ある有名な歴史的事件を題材にしてをり、世間一般に知られてゐる物語ではない裏側の切り口から捉へたといふもので、皮肉を交へた内容となってゐた。登場人物も歴史で語られることのない人物が中心となり物語は進んでゆく。いつの世も光があれば影があり、中心人物の裏には無数の脱落者がゐる。義に徹し命を賭した者。生き残った者は、自分たちの利になるやうに、巧みに話をすり替へてゆく。公に対する忠誠心よりも、個々の利益に対して貪慾なのが人間の本性であり、社会とはそんなものだと言はんばかりの内容だった。
 私は五年生の娘とともに観劇してゐたのだが、見終はる頃には気持ちが暗くなってゐた。終演後に、主演の役者さんと演出家との対談がくり広げられるといふことで、お客様はそのまま席に残ってゐた。客席が明るくなり、周囲を見渡すと、七十代から八十代の客層でほぼ占められてをり、杖をついて歩かれてゐる方も目立った。
 演出家が語り出す。「この物語は真ん中を歩かなかった人たちの人生です。我々が若かった頃は、反骨心剥き出しのギラギラした時代。斜に構へることで見えてくる現実や面白さがある」「今の若者は真面目すぎる」そんな内容を語り上げるたびに、会場は大いに沸いた。
 会場のお客様は、きっと共通する価値観や捉へ方を、劇の内容や対談から見出してゐたのだらう。笑ったり頷いたり、拍手で応へたりと、この年代の方たちが集団で同じやうに反応する姿を間近で見ることができ、とても勉強になった。
 確かに、人間は自分も含めて、醜さ、いやらしさ、残酷さなどを持ち合はせてゐると思ふ。すべてが素晴らしく高潔な人などゐないだらう。ただ、だからといって汚い部分こそが人間の本性だと捉へてしまふのも偏りがあるやうに感じる。昂揚する独得な劇場の雰囲気は、どこか無責任な“何か”を感じた。それぞれの時代と年代に青春があり、温度の違ひはあるのかもしれない。
 今の日本の社会には、左か右かどちらか一方で真ん中がないみたい。自分は御先祖様から真っ直ぐに続く道を歩んでゆきたい。頭が固いのかもしれないけれど、さう感じて自分なりに活動してきた筆者は、改めて、真ん中って何だらう……と考へさせられた。隣に座ってゐる娘の存在を含め、これからの日本を築いてゆく子供たちに、今を生きる私たち大人は何を伝へ残してゆくべきなのだらう。
 人間は、長所半分、短所半分。どちらか一方ではなく、表も裏も。否定することなく、色付けせずに、柔らかく。透明な在り方を摸索し続けたい。
(歌手、兵庫・小野八幡神社権禰宜)

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