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論説 追悼・安倍晋三元首相 岸田首相に遺志継承を期待

令和4年07月25日付 2面

 第二十六回参議院議員通常選挙が最終盤を迎へてゐた七月八日、安倍晋三元首相が突如兇弾に斃れるといふ由々しき事件が起きた。奈良市内で選挙応援演説中に兇漢の自作銃で狙撃され、必死の救命措置も及ばず、当日夕刻、遂に帰らぬ人となった。政治家としてまだ六十七歳の働き盛りで、さらなる活躍が期待されてゐただけに、その非業の死は惜しみても余りある。
 首相在任中は、「安倍一強」などと称され、野党やマスコミから安倍政権と首相の政治手法が批判に晒されることも多かった。しかし国民多数の意思は、安倍首相の自公政権継続に向かひ、平成二十四年以降、国政選挙では六戦して六勝した。それによって得た国会での多数勢力を基盤に、わが国の歴史伝統を包み込んだ独自の国家観と使命感を持ち、強い意志を発揮して国政の重要課題に果敢に挑戦する稀な首相だったといへよう。国際政治外交においては、これまでに類を見ないスケールの大きい戦略的発想をもって柔軟な指導力を発揮し、日本国の地位と国威を高めた功績は実に大きなものがあった。

 安倍元首相の不慮の死は、国の内外に大きな衝撃を与へた。大衆の喪失感も大きく、十二日の葬場となった港区の増上寺や奈良の事件現場、それに永田町の自由民主党本部などに設けられた献花台や記帳所には、一週間経ってもなほ多数の人々が訪れて弔意と感謝を捧げ、諸外国の元首や政治指導者などからは、安倍氏の功績を讚へ、その死を惜しむメッセージが驚くほど多数寄せられてゐるといふ。
 斯界においても、神道政治連盟国会議員懇談会の会長として神政連が掲げる重要事項の推進に長年協力していただいた。とりわけ皇室の尊厳護持においては、平成から令和への御代替りの円滑な実施と、男系継承の伝統を護持する上で洵に頼もしくありがたい存在だった。
 ここに改めて深甚なる感謝と哀悼の意を表したい。

 政治家を狙った忌むべき事件の発生で、街頭での選挙運動を一時自粛する政党もあったが、七月十日の投開票の結果は自民党の大勝となった。与党の公明党は苦戦して一議席を減らしたが、自民党は八議席増の六十三議席とし、単独で過半数を獲得した。これで、自公連立政権の国会での基盤は一層強固なものとなった。
 一方野党は、全国政党を目指した日本維新の会が比例代表で野党最多の票数を得て議席を倍増させたのが目立ったが、他の立憲民主党、国民民主党、共産党の三党は議席を減らして敗北した。その結果、非改選議員を合はせた参院全体では自民・公明の両党に改憲に前向きな日本維新の会と国民民主党の議員、さらに保守系無所属議員等を加へると改憲勢力は百八十人近くにのぼり、憲法改正に必要な三分の二の百六十六人を上回って改憲に弾みをつけることになった。
 神政連との関係では、比例代表の推薦候補である山谷えり子議員が十七万二千六百四十票を獲得。自民党十八人の当選者のうち十番目の得票で、みごと四選を果たした。また選挙区では中央本部と地方本部で合はせて四十八人を推薦し、このうち四十四人が当選した。これら議員には今後六年間、斯界と国家国民のために大いに活躍することを期待したい。

 安倍元首相の死去に伴ひ、政府は七月十一日、安倍元首相を従一位に叙するとともに、戦後四人目となるわが国最高位の勲章「大勲位菊花章頸飾」を授与することを閣議決定した。さらに十四日には岸田文雄首相が、憲政史上最長の八年八カ月に亙り卓越したリーダーシップと実行力をもって首相の重責を担ひ、大きな実績を残した安倍元首相の葬儀を「国葬儀」の形式で、この秋におこなふことを発表した。戦後は吉田茂元首相の例があるのみだが、国葬に際しては世界の諸外国・機関の代表が東京に集ふことになり、日本を代表する政治家といっていい安倍元首相の名誉とともに日本国の国威を一層高めるのに相応しい機会ともならう。
 参院選で大勝した後の記者会見で岸田首相は、安倍元首相の思ひを受け継ぎ、果たせなかった難題に取り組む覚悟を表明した。安倍元首相の遺した政治遺産を大切に、憲法改正や防衛問題などの難題に強い意志力をもって取り組まれることを期待して已まない。
令和四年七月二十五日

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