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論説 七五三詣 分散参拝の加速化のなかで

令和5年11月06日付 2面

 新型コロナウイルス感染症の感染症法上の位置付けが五類に引き下げられてから、初めての七五三詣の時期を迎へてゐる。
 これまで感染症の蔓延防止のためとして、祈祷の際の昇殿人数を制限してゐた神社も多く見られた。七五三詣においても同行した祖父母などの親族に已むを得ず昇殿を御遠慮いただく場合もあるなど、心苦しい経験をした神職も少なくなかったことだらう。
 令和二年からおよそ三年間に及んだ自粛の影響や他の感染症等への懸念などもあり、すぐに疫禍前の状態に復するのは難しいかも知れないが、今年の七五三詣の時期にあたり、まづは子供の成長を大勢で祝へる状況に戻りつつあることを慶びたい。


 かつて七五三詣といへば十一月十五日前後の土日に集中し、家族や総代に受付を任せ、宮司が朝から夕方まで昼食をとる暇もなく祈祷を続けるといふやうな状況も見られた。疫禍の収束により昇殿人数の制限を緩和しても、さうした以前のやうな忙しさが戻ってくるわけではなささうだ。むしろ、今や七五三詣は十一月の行事ではなくなりつつあり、夏期におこなふやうな光景さへ見られる。かうした七五三詣の分散化は貸衣装の利用や写真館での写真撮影の都合などによって始まり、この疫禍のなかでさらに加速したといへよう。
 そもそも十一月十五日に七五三詣をおこなふ理由には諸説あるが、有力なのは徳川将軍家における吉例に倣ったものとする説である。さうした由来などに鑑みれば、夏期に七五三詣をおこなっても、一概に伝統的な信仰等からの逸脱とはいへないといふ考へ方もできる。また一方で、吉例を重んじ年中行事として長く親しまれてきた慣例や季節感などを大切にすべきといふ考へ方もできよう。
 分散参拝の是非について論じる際には、なぜその時期に参拝するのかを伝統・信仰に基づく教学的な側面から改めて講究しておくことが重要といへるのではなからうか。


 かうした分散参拝については、伝統・信仰に基づく教学的な側面に加へ、それぞれの神社における実務的な視点からの検討も必要となる。
 すべての神社が七五三詣の分散に対応できるわけではなく、集中した方が祈祷の奉仕やその準備など都合の良い面もある。とくに兼業神職のなかには、七五三詣に限らず祭典や祈祷の奉仕のために休暇を取得せざるを得ないやうな場合もあらう。その一方、七五三詣の参拝が分散したとしても対応が可能で、むしろ極端に集中するより、ある程度は分散した方が対応しやすいといふ神社もあるやうだ。かうした実務的な面に関しては、参拝者数や職員数を含めた神社の規模等によって状況が異なることもあり、なかなか一様には論じられない。
 古例や季節感の重視による集中か、現代的な諸事情等への配慮による分散か。各神社における実務的な要素も踏まへながら対応が図られることとならうが、大切なのは分散と集中のそれぞれの立場に基づく根拠の明示や説明であり、さうした相異に基づく多様性のなかで一方を否定するやうなことなく、神社界全体としてのあり方を考へていくことが求められるのではなからうか。


 七五三詣についてはかねて、先述のやうに貸衣装の利用や写真館での写真撮影の都合が優先される傾向が顕著になってゐる。さうしたなかで、ややもすれば晴着での記念撮影と家族や親族による会食のみをおこなって神社を訪れることがなかったり、神社を訪れた場合でも境内での写真撮影のみで参拝や祈祷はしなかったりするやうな、いはゆる神詣を欠いた「七五三」も見られるといふ。
 もとより七五三詣は単なる一家族のイベントではなく、地域社会の一員として氏神に子供たちの成長を奉告して感謝の誠を捧げ、引き続いての加護を祈念するものであらう。それは、子供たちに氏子としての自覚を促すとともに、その生涯に亙る神社との関はりにおいて原風景になるものともいへる。分散参拝の加速化といふ現在の状況のなかで、七五三詣の本質的な部分、その不易と流行について、教学的な側面や実務的な視点を含めて改めて確認しながら、広く一般への意義啓発に努めていきたいものである。
令和五年十一月六日

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