杜に想ふ
優しい言葉で 涼恵
令和5年11月13日付
5面
今回は前から書きたかった、小学生が奏でる吹奏楽について綴ってみたいと思ふ。
娘が通ふ小学校に吹奏楽団があり、小学三年生の時に初めて体験し、四年生で正式に団員となり、六年生の現在は副団長とフルートのパートリーダーを務めてゐる。日々の練習もさることながら、大会前などに専門家の先生を招く講習会の内容に深く感銘を受けた。
「このメロディに歌詞が付くとしたらどんな感じになると思ふ?君ならどんな言葉が浮かんでくる?」
その指導は、一つの答へを与へるものではなく、個々の答へを導き出して、自ら発言しやすい空間を総体的に生み出してゆく。
「ここの音で、主人公は泣いてゐる?怒ってゐる?楽しいかな?」。まづは、本人に考へさせる。「先生はこんな気がしたけれど、君たちはどう感じた?」。
手を挙げる数の生徒たちの多いこと――その回答は発想力と表現力に長けてゐる。
そして、必ず褒める。「頑張り屋さんの君ならできるね」「あなたたちはスーパー小学生!それだけのことをやってきてゐると自信を持っていい」。
彼の指導によって、三十分もしないうちに明らかに演奏が変はる。風景が見えると、表現力の幅がどんどん広がる。作品の背景にある物語を奏でるために、子供たちは楽器を操る。息の遣ひ方、腹筋の強さ、微妙な調整をその小さな身体でみごとにやってのける。リードミスなんて気にせず、真っ直ぐな思ひを貫いて、上手い下手ではない。子供たちの奏でる音は純粋な音で、どこまでも素直だ。
その目の前で子供たちが鳴らす音楽の構造と仕組みをその場で紐解き、改善点を取り上げる。その細かさは楽譜に書かれてゐる内容だけではない。パートごとに座る位置でも音の層を演出できる。団員が指揮者を向く微妙な角度、内側外側、ほんの少しの差で空気振動の頂点が変はる。重なる一音の違ひを微細に調整してゆく。
ほんの少しの違ひを理解してゐるからできる指導。子供たちは物おぢせずに付いてゆく。
「まるで、先生は魔法使ひのやう!」。指揮棒が魔法の杖に見えてくる。だけど、お伽噺でも夢物語でもない。現実の稽古のなかで、作曲家が描いた物語が動き出す。気持ち、構造、譜面、どれも手を抜かずに純粋に吹奏楽として表現される。
先生が子供たちを心底、信頼してゐるのが伝はってくる。その可能性を無限大に育ててゆくことだけに集中し、どうすれば良くなって、ここまではやりすぎ、その匙加減も長年の経験を通して熟知してゐるのだらう。筆者も表現者の端くれとして、この高度な技術の応酬を目の当たりにしてとても興奮した。
結果、東日本学校吹奏楽大会で金賞、日本管楽合奏コンテストで最優秀賞といふこの上ない成績を納めることが叶った。関係各位に心からお祝ひ申し上げたい。
(歌手、兵庫・小野八幡神社権禰宜)
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