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論説 明治の日 聖徳敬仰し意義ある日に

令和5年11月13日付 2面

 今号掲載の通り、「明治の日を実現しよう!決起集会」が十一月一日に衆議院議員会館で開催された。
 「明治の日」に関しては、十一月三日の「文化の日」を「明治の日」に改めるべく平成二十三年に民間有志によって「明治の日推進協議会」が設立され、これまで署名運動や国会議員への働きかけなどがおこなはれてきた。また昨年四月には従前の議連を発展的に改組した超党派の「明治の日を実現するための議員連盟」が発足。さらに、すでに地方議員連盟が組織され、新たに首長会も結成されるなど、地方での取組みも進められてゐるといふ。
 斯界においても昨年の神社本庁五月定例評議員会で「明治の日」制定に向けた評議員提出議案が決議されてをり、より広く意識共有に努めていきたい。


 明治天皇の御生誕日である十一月三日は明治時代には天長節として祝日とされ、大正時代になると崩御日の七月三十日が先帝祭として明治天皇祭の斎行される祭日となってゐた。その後、昭和への御代替りにともなひ明治天皇縁の祝祭日がなくなることを憂慮した国民たちの請願運動によって昭和二年に十一月三日が明治節として改めて祝日となり、明治天皇への敬慕の念を以て広く国民から親しまれる日となってゐたのである。
 しかし戦後被占領期の昭和二十三年、「国民の祝日に関する法律」の制定により祝祭日が改変され、十一月三日は「自由と平和を愛し、文化をすすめる」といふ「文化の日」となって現在に至ってゐる。内閣府によれば当時、「この日が、昭和二十一年に日本国憲法が公布された日であり、憲法において、戦争放棄という重大な宣言をし、国際的にも文化的意義を持つ重要な日であることから、平和を図り、文化を進める意味で『文化の日』と名付けた」旨の説明がなされてゐたといふ。
 もちろん「自由と平和を愛し、文化をすすめる」ことの大切さを否定するものではなく、なにより明治天皇こそ平和や文化の進展に尽くされたといへるのではなからうか。「文化の日」について考へるにあたり、まづはさうした明治時代から今日までの歴史的な経緯を顧みることが必要だらう。


 今回の決起集会において議員連盟からは、「文化の日」を「明治の日」に改めるのではなく、「文化の日」をそのまま残しながら、新たに「明治の日」を加へる併記案が示された。
 現在、十一月三日には皇居で文化勲章の親授式があるのをはじめ、文化の日を中心とする十一月一日から七日までの一週間は「教育・文化週間」とされ、全国各地で体験活動や公開講座、美術館・博物館の無料開放などさまざまな取組みがおこなはれてゐる。また例年、文化庁と都道府県等により共催されてゐる国民文化祭もこの前後に実施されることが多く、さらに各地で文化祭や芸術祭などがおこなはれる時期にあたるほか、読書週間にもなってゐる。
 祝日法制定からすでに七十五年が経過した今、十一月三日は「文化の日」として一定の滲透が見られ、議員連盟の併記案は、さうした現状に鑑みたものだといふ。来年の通常国会での提出を目指すといふ祝日法改正案について、今後の動向を注意深く見守りたい。


 厳しい国際環境のなかで、諸事神武創業の始に原き、祭政一致の古制の恢弘に努めつつ、近代国民国家の形成を目指した明治の御代。斯界にとっても「国家の宗祀」として神社の公共性が確認され、さまざまな法整備等も進められるなど現代に繋がる大きな劃期になったといへる。
 さうした歴史に対してはこれまで、さまざまな立場の相違などからややもすれば盲目的な礼讚に陥ったり、短絡的な断罪に終始したりする面もあったのではなからうか。「戦前か戦後か」もしくは「明治以前か明治以後か」などと単純に二者択一を迫ったりするやうなことなく、先人たちの営み、自らの父祖たちの歩んだ道を真摯に見つめ直すことが重要だといへよう。
 今年も明治天皇を奉斎する明治神宮では、十一月三日に勅使参向のもと例祭を斎行。また、全国各地の神社ではこの日、明治天皇の聖徳を敬仰する明治祭が斎行されてゐる。十一月三日が国民の祝日としてより広く親しまれ、意義ある日となるやう切に望むものである。
令和五年十一月十三日

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