文字サイズ 大小

杜に想ふ 新年の習慣 神崎宣武

令和6年01月29日付 5面

 今年も新年を迎へ、正月行事を過ごすことができた。おめでたいことである。
 諸事が恙なきことを「祈る」「寿ぐ」気もちが大事であることは、いふをまたない。多くの方が、例年どほりにそれをなさったであらう。「初詣」がそれに相当するといふことも、多くの方に共通することであらう。
 それに異を唱へるわけではない。だが、もう一方の「初日の出」を拝する習慣をお忘れの方もあったのではなからうか。
 それには、とくにテレビ放送の影響も大きからう。NHKのそれでいふと、紅白歌合戦と除夜の鐘に続いて初詣の風景が映し出される。それが、毎年の恒例となって久しい。私たちは、いつの間にか初詣は深夜の行事、と思ふやうになったのではあるまいか。もちろん、それもそれで異を唱へることではない。
 だが、それが伝統的な行事かどうかには疑問がある。交通や照明が未発達な時代には、誰もが深夜に詣でることができなかったはずだ。とくに、農山村ではさうだった。初詣は、夜が明けてからの行事、とするところが多かったのである。
 それは、初日の出を拝することともつながってゐた。日の出にかぎったことではなく、東方の太陽を拝したのちに神社や仏寺に詣でたものである。
 神道や仏教が普及する以前からのアニミズム(自然界の万物に霊が宿るとする原初的な信仰)の伝統、といふことができようか。『古事記』(和銅五年〈七一二〉)では太陽神を天照大御神としてをり、以後もそれが定説・定義として通じてきたが、それよりも歴史的には古くさかのぼっての信仰である。
 とくに、江戸の町では、元日の初日の出を拝することが流行した。
 さかりはでせり出すような初日出(『誹風柳多留』)
 ここでの「さかりは」は、盛り場。とくに、高輪・愛宕山・深川洲崎などの海上が見晴らせる台地上に人が集まってにぎはったやうである。松平冠山の『思出草』(天保三年〈一八三二〉)には、「酒うるあり、餅うるありて喧鬧大かたならず」「合掌して礼拝するもあり、(中略)さまざまのたわ言いひて賞歎するもあり」などとある。
 まま、これは江戸にかぎってのにぎはひとしても、私たちも、あらためて日の出に注目してみることもよろしからう。
 もうひとつ、「恵方参り」の習慣もあった。
 恵方とは、歳神(歳徳神)が来訪してくる方角である。明の方ともいひ、毎年異なる。それは、現在でも記載してゐる暦もあるが、注目する人はほとんどないのではなからうか。といふか、歳神の存在も薄らいでゐるのではなからうか。恵方から松に依りついて歳神がやってくる、その松が門松になってゐるのに、である。
 人の行く方へ我行く恵方哉(波羅)
(民俗学者、岡山・宇佐八幡神社宮司)

オピニオン 一覧

>>> カテゴリー記事一覧