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杜に想ふ 立体的に軸を感じて 涼恵

令和6年05月13日付 5面

 私事で恐縮ながら、毎年靖國神社の能楽堂で奉納コンサートをさせていただいてゐる。かうして執筆させていただけるのも、歌を歌へることも、この国を守ってくださった御英霊のお蔭様で、今の自分はこのやうに生きてゐますといふ奉告を含めて御神前に感謝のまことを捧げてゐる。
 早いもので来年で十年を迎へるのだが、一年目はカラオケ音源で一人で舞台に立ってゐた。それが今では有志の音楽家たちが増え、毎年多彩な音色を奏でることが叶ひ、心から感謝してゐる。とくに今年は、外国人の友人が靖國神社まで足を運んでくれた。ロシア人のお友達は十五年ほど、アメリカ人のお友達とは十年ほど親睦を深めてゐる。彼らが来てくれたことが、とても嬉しかった。
 かつて戦ったことのある国だとしても、互ひに平和を願ひ、ともに手を合はせられること。日が経つにつれ、それが叶ったことの意味の深さとありがたさを噛み締めてゐる。彼らの立場から歴史や政治的なお話を聞かせてもらふたびに、共通する価値観を見出すことができる。友情を育むには起こった出来事を知るだけではなく、「何故Why?」と相手の立場になって、その時の状況を想像しながら、さうなった理由を探す姿勢がとても大切だと思ふ。
 娘が小学六年生の時、歴史の授業について話してくれたことがあった。具体的な内容には触れないでおくが、担任の先生は戦争のことを「この時の日本人は良くないよね」と、まるで他人事のやうに話し、「日本を嫌ひになりさうだ」と漏らす生徒たちもゐたといふ。悲しくなる。
 米国ニューヨーク市にて国連NGOで働いてゐた際、韓国人女性教授から靖國神社のことについて、激しく非難されたことがあった。私なりに彼女と対話する姿勢を示したたつもりだったが、途中で「What an innocent girl(なんて無知な子なの)!」と言ひ放たれたことがある。
 他国の人との対話でも教育の現場でも、歴史について語ることや伝へることの難しさを痛感してゐる。そんな私に、アメリカ人の友人がこんな話を聞かせてくれた。「平面で考へると遠く離れて感じるかもしれないけれど、立体で考へると、右と左は隣かもしれない。似てゐるところもある」と。
 ずっと平行線だと思ってゐた場所も球体で見てみるとどうだらう。地球は丸い。球面幾何学では、地球(球面)上には平行な直線は存在せず、いつかは必ず交はるといふのだ。しかも二度も。これはたいへん面白い関係性だ。きっと対人関係にも作用するのだらう。
 以前に書いた「真っ直ぐに」で、右でも左でもなく真ん中を追求してゆきたいと書いたが、今でもさう想ふ。当時の私と今の私。より柔軟に、軸を意識して立体的に物事を捉へられるやう自己鍛錬を続けたい。
(歌手、兵庫・小野八幡神社権禰宜)

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