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杜に想ふ 株神祭 神崎宣武

令和6年05月27日付 5面

 私の郷里である備中地方(岡山県西部)には、株神祭が伝はってゐる。全国的には、なじみが薄いであらう。
 とくに、私の氏神の範囲では、これまでは濃厚な伝承をみてきた。と、過去形でいはなくてはならないのは、近年、それが廃れる傾向にあるからだ。
 そこでの例祭は、師走から春先にかけておこなはれる。まづ、十月から十一月初旬にかけては、氏神の例大祭。ちなみに、氏神は、ほぼ大字単位で祀る。そして、小字単位では産土神を祀ってをり、産土荒神を祭神とする。この祭礼は、霜月祭(旧十一月)となる。それらが終はってから、株神祭が続くのだ。
 株神祭は、集落内での本家・分家を中核とする、俗に「小祭」と呼ばれる。数戸から十戸ほどでおこなふ。
 その社も、小ぶりである。そこでは、調度や神饌や祭典も簡略化されるからだ。そして、神楽の奉納もここではおこなはれない。それだけに、直会をすませての宴席が和やかに長く続くことにもなる。
 株神は、例外なく摩利大神。摩利支天神とも呼ばれる。密教の天部の守護神である。
 密教曼荼羅では、大日如来を中心に諸菩薩をそのまはりに配し、さらに明王や天部を外部に配する。その天部に、弁財天や多聞天などとともに摩利支天も配されてゐるのである。
 天部における守護神たちは、それぞれに特技をもつ。たとへば、琵琶を持つ弁財天は、芸能神として信仰を集めてきたし、大国天は、大国主とも習合するが、その憤怒の表情から米蔵の守護神ともなってゐた。
 摩利支天は、金剛杵、弓、箭(矢)などの武器を手にしてゐることから、中世のころより軍神として武士の信仰を集めてゐた。眷族は猪。中世のころ、京都から西日本各地に広がった、とされる。
 中世末の備中地方は、小規模な山城を中心にムラが開けたところが多い。そこには専属の武士はほとんどをらず、平常時は農業に従事し、非常事態が生じると槍を持って城にかけつける「半農半士」といふ身分。さうした士分の証しに株神として摩利大神を祀ることになった、といへようか。
 その黒忠(近世の村・近代以降の大字名)の内には、竹井株・加賀株・川上株・妹尾株・それに佐藤株などがある。
 三月二十一日、延び延びになってゐた佐藤株の祭をおこなった。戸数が三戸、いづれも後継者の同居はない。今回をもって株祭を閉ぢる、といふ話合ひのもとでおこなふことになった。その話合ひに私も加はってゐたので、ならば「由緒書」をつくり、三名が署名(私も立会人として署名)して閉ぢる記念にしよう、と提案した。むろん、三名も同意してくれた。
 夫人たちも同席しての宴席。晴々とした表情で昔話もはづんだ。ただ、握手をしての解散のその時には、少し湿っぽくもなった。
 「挙句の祭」といへるかな、だ。
(民俗学者、岡山・宇佐八幡神社宮司)

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