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杜に想ふ 元元本本に集ふ 涼恵

令和6年07月08日付 5面

 前回書いた一文に全国各地の神職仲間から多くの反応をいただいた。スピリチュアル系やSNS向けを目的とした参拝の在り方に、やはり疑問や葛藤を抱いてをられるのだと意識共有をすることができ、とても嬉しかった。引き続き、読者の皆様と想ひを共有しながら、今の時代に起こる課題に善処できるやう努めてゆきたい。
 先月、「倭姫命を“歌い・語り合う”夕べ」を東京大神宮にて開催させていただいたのだが、ここでも今後のヒントとなる大切なことを学んだ。この催しをやらうと決めたきっかけは、同じ女子神職である川村一代女史との再会だった。彼女とは十年ほど前に石上神宮の神道行法錬成研修で出逢ひ、それから月日は流れ疎遠になってゐたが、昨年の倭姫宮御鎮座百周年の奉祝式典に参列した際に近くの席になり、再び目が合った。
 皇學館大学の櫻井治男先生と共著で御本を上梓されたといふことで御神前に奉納されてゐた。筆者もまた倭姫命三部作といふ楽曲を歌唱奉納するために参列してゐた。
 倭姫命さまの御心を伝へたい一心で、産み出された作品をそれぞれに携へての再会。まさに祈りが重なった瞬間の出来事だった。
 『倭姫命世記』は、一人の女性の成長物語だと感じられる。
 “元元本本”といふ倭姫命が遺された言葉がある。聞いた瞬間から、吸ひ寄せられるやうな、それでゐてまた広がってゆくやうな、求心力と遠心力を感じさせる言葉。何か課題や困難に陥ったとき、紆余曲折があったとしても、考へ続け行動してゆくと、原点に還る、基本に立ち返る感覚、皆様にも覚えがないだらうか。追求した先に辿り着く大元。
 それは単純に一つの答へといふ訳ではなく、初めであり終はりでもある究極の一点。天照大御神の御杖代となって御巡行された倭姫命だからこそ、この精神がいかに大切かを伝へていらっしゃる。誰かの代はりとなって責任を果たすこと。誰かにお仕へするといふ基本姿勢。きっと自分本位では辿り着けない境地がある。倭姫命さまのやうに、一喜一憂の感情を瑞々しく素直に表しながらも、己の気持ちを越えて大道と結びついてゆく。
 私的に感じることの先に辿り着く、物事の本質や真髄。そして、それは具体的な形としても残してくださり、今日の祭りの基礎を築いてゐる。
 神道に教義や経典がない理由が理窟ではなく伝はってくるかのやう。敢へて定義しなくても、真摯に神明奉仕をしてゆくと、それぞれのなかに自づと見つかってゆく変はらずに受け継がれてゐるもの。
 それが、きっと元元本本。
 私たちはそこに自づと集まるのだらう。目を閉ぢて手を合はすと、この心臓が先人たちの想ひと同調してゆくのがわかる気がする。
 この想ひを胸に、来たる六十三回式年遷宮へと繋げてゆきたい。
(歌手、兵庫・小野八幡神社権禰宜)

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