杜に想ふ
令和の仲執持 涼恵
令和7年12月08日付
5面
先月の神社新報に掲載されてゐた、現代の汎用人工知能(AI)の有用性と危険性について神職としてどう対応すべきかといふ記事が、まるで神前で受け取る小さな啓示のやうに胸に残った。
神社界はこれまで、SNSやインターネットに慎重で、どこか消極的ともいへる姿勢を保ってきたやうに思ふ。しかし今、若者たちは情報を得る際に、本を開くよりも、現地を訪ねるよりも真っ先に、指先一つでインターネットから情報収集する傾向にある。実際にユーチューブ上で「神職」「神道」を検索してみると、画面に挙がってくるのはユーチューバーや占ひやスピリチュアル系、あるいは古神道を名乗る情報や発信が多く、実際に奉職する神職の声は上位には挙がってこない現状にある。驚きとともに寂しさが込み上げる。
多方面から情報を得たり視野を広く持ったりすることは素晴らしいことなのだが、都市伝説や陰謀論的な話題が先に届いてしまふことで、現場に息づく声はその陰に隠れてしまふこともあるだらう。生成AIは、まだ真偽を完全に見極められるわけではなく、ネットに流れる無数の言葉を手がかりに情報を提供する。そのとき、もし本来の神社神道が語られてゐなかったなら、AIは選びたくても選べないのである。
神道は教義経典を持たぬがゆゑに、言挙げするのではなく、まづ神事を重んじ、実践してゆくなかに本質を見出してきた。我流を入れず、ただ淡々と粛々と古からの教へを現場で重ねてゆくこと。筆者は神明奉仕に励む先輩神職のそんな姿勢に幾度となく教へられてきた。心から尊敬してゐる。
古い歴史を遺す神社と最先端の技術を要する生成AIは一見すると正反対のやうにも思へるが、利用者が増える昨今では、正しい現場の声が求められてゐるやうな気がしてならない。AIといふ新しい風が社頭にも吹き込む今、私たちは恐れではなく、理解と誠実をもって向き合ふべきなのだと、時代に囁かれてゐる気がする。
たとひどれほどの時が巡らうとも、神前で手を合はせる静けさのなかには、先人たちの祈りと重なる変はらない本質が見出せる。その中心を抱きしめながら真っ直ぐに、私たちは新しい道具とともに歩んでいけるはずだ。未来へ向けて、浄明正直に発信することで、神道を学びたいとインターネットで検索した人たちや、次世代へと神社を守りゆく後輩たちへと必ず届くと信じてゐる。
語られないことに価値があることもある。ただ、溢れる情報に埋もれてしまはぬやうに、その声が未来へ届く一滴となるやうに、時に柔軟に能動的に現場の声を届けてゆきたい。
神職一人一人が令和の仲執持として、その言葉が次の世代の道標となることを願ひながら筆者も神社界の末端にある者として誠実に発信を続けてゆかうと決意を新たにした。
(歌手、兵庫・小野八幡神社権禰宜)
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