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論説 神道指令発出八十年 戦後神社界の刻印に思ふ

令和7年12月08日付 2面

 令和七年も師走に入り、「戦後八十年」も残り僅かとなった。「大東亜戦争終結ニ関スル詔書」の玉音放送を国民が謹聴してから八十年が経過した八月十五日には、各人が「終戦」当時に思ひを致し、占領期や「戦後」の来し方について振り返ったことだらう。加へてもうすぐ、戦後の神社界、神道人にとっては決して忘れ得ぬ刻印が打たれたあの日から満八十年となる。


 占領期の昭和二十年十二月十五日、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)から「日本帝国政府ニ対スル覚書」として「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」(神道指令)が発出された。
 当時の全国紙は、同月十七日付紙面の一面トップで神道指令発出を報じた。『朝日新聞』は「国教の分離を指令 神道より軍国主義払拭」との見出しを掲げ、社説「国家と神道」で「マツクアーサー司令部による、いはゆる国家神道の禁止指令は、その意義頗る重大」と書いた。その他、『読売報知』は「捏造された“神国”抹殺 マ元帥国家神道禁止を指令」、『毎日新聞』は「強制神道廃絶」との見出しで報じ、日本国民に絶大なショックを与へた。また、神道指令発出の報道によって、一般国民には殆ど聞き覚えがなかった言葉にも拘らず、突如「国家神道」なる語が浮上した。このネガティブイメージを帯びた新たな概念が人口に膾炙するきっかけともなったのである。


 神道指令の目的は、信教自由の保障を確保し、「軍国主義的乃至過激ナル国家主義的『イデオロギー』」(自民族優越主義と膨張主義を結合した観念)を排除するため、米国がその元凶と決めつけた「国家神道」(日本政府の法令によって宗派神道と区別された「非宗教的ナル国家的祭祀」と定義)なるものを廃止することにあった。
 神社神道に対する公的な特別保護監督等や財政的援助の停止及び神祇院の廃止、公教育機関における神道的教育の廃止など、国家と神社神道との制度的な分離を要求するに留まらず、「本指令ノ目的ハ宗教ヲ国家ヨリ分離スルニアル」と明記して、欧米一般の政教分離(国家と教会の分離)とは際立って異なる完全な政教分離を標榜した。全ての宗教・宗派等にも適用される建前であったが、実際には「神道ニ関連スルアラユル祭式、慣例、儀式、礼式、信仰、教ヘ、神話、伝説、哲学、神社、物的象徴」の一切に対して国家との分離を要求し、神道指令の徹底を図るために日本政府が次々に発した通牒によって、神社神道に対しては極めて厳格に適用された(但し、昭和二十四年を境にその適用条件は大幅に緩和)。
 さらに神道指令は、『国体の本義』や『臣民の道』などの頒布、「大東亜戦争」や「八紘一宇」などの用語使用といふ「国体論」(日本の国柄の特殊性・優越性に関する論述)の文脈に関する事項も禁止した。烙印を押されたこれらについては、未だにタブー視されてゐる印象がある。


 この八十年間、本紙では折々に神道指令を論じてきた。そもそも神道指令の対処として誕生したのが、葦津珍彦のいふ「戦災バラック」としての神社本庁、戦後神社界の機関紙としての『神社新報』であり、当事者性を持つ。
 神道指令発出五十年の際、本紙社説(平成七年十二月十一日付)は次の如く書いた。斯界の先人たちは、神社が皇室、国家から切り離されても、「神社と神道とを護持せんとの一念」から神道指令を受け入れた。その一念を原動力として、「吾等神社人は深く慮るところあり」(神社本庁設立総会声明書)、つまり「神道指令をいつの日か克服しようといふ先人たちの『誓ひ』」を果たすために一致団結し神社本庁を設立させたのではなかったか、と。
 本紙では、占領解除によって失効した神道指令の「亡霊」を駆逐すべきことを再三論じてきた。しかし、昭和五十二年の「津地鎮祭訴訟」最高裁判決で「国家と宗教との完全な分離を実現することは、実際上不可能に近い」とされ、「目的効果基準」といふ公権解釈が示された後も、現在に至るまでその「亡霊」は消え去ってゐない。
 明年、神社本庁設立と『神社新報』創刊の八十周年を迎へる。戦後神社界の起点である神道指令といふ刻印を見据ゑ、その克服といふ「誓ひ」を果たすべく、叡智の結集を切に望みたい。
令和七年十二月八日

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