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御譲位・御践祚から改元までの在り方 所 功

平成29年11月13日付 5面

 この十一月は、大正・昭和・平成の三代に亙り、即位礼と大嘗祭が実施された、いはば大礼の佳節である。
 その即位礼と大嘗祭は、おそらく明後年に更めて執りおこなはれるであらうと見込まれる。この二つは、幸ひ平成二年(一九九〇)に現行憲法のもとでも、大筋伝統に違ふことなく実行された御大礼を直近の先例として、再現できるにちがひない。
 しかし、それに先立つ皇位継承は、崩御でなく約二百年ぶりの御譲位による新例を拓くことになるから、慎重な検討と工夫を要する。

不確実な報道に対する疑問

 そこで、今年六月上旬「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」の成立するより前、本紙の依頼を受けて、拙稿「御叡慮“高齢譲位”の望ましい在り方」を書き、五月二十二日号に掲載していただいた。
 しかも、当神社新報社「時の流れ研究会」では、「御譲位・御即位」に関する具体的見解(提言)を、本紙の六月五日・七月十日及び九月十一日号に特輯し、関係方面と斯界の啓発に努めてきた。
 従って、主要な問題点と対応策は、ほとんど指摘し尽くされてをり、大旨それに近い方向へ進みつつあるとみられる。
 ただ、十月二十日(皇后陛下の御誕生日)朝、「朝日新聞」が「政府は、天皇陛下の退位日を二年後の二〇一九年三月三十一日とし、皇太子さまが翌四月一日に新天皇に即位して、その日に改元することで最終調整に入った。」と報じた(「読売新聞」なども翌朝掲載)。
 しかし、政府(菅義偉官房長官)は、二週間後の現時点でも、まだ公式見解を発表してゐない。 ちなみに、今春、全国紙から流された平成三十一年元日改元説は、宮内庁が直ちに困惑を示し、再検討されるに至った。
 このやうな問題について、一部の政府関係者がもらす不確実な情報で国民を惑はすやうな軽挙は、厳に慎んでほしい。

御譲位と御践祚は同日に

 しからば、この重大な皇位継承の時期は、いつが宜しいのか。また、それに伴ふ儀式は、どのやうな内容が望ましいのか。この二点については、前掲の拙稿及び「時の流れ研究会」の見解を基に、少し手直しすれば正解が得られると思はれる。
 まづ時期は、一部報道されたやうな御譲位を三月三十一日、御践祚を翌四月一日とすれば、その間に皇位の空白(空位)を生ずることになるから、それは断じて避けなければならない。
 なぜなら、明治以降の「皇室典範」第十条〔新典範第四条〕に、「天皇崩ズルトキハ〔天皇が崩じたときは〕、皇嗣即チ践祚シ〔皇嗣が直ちに即位する〕」と定められてをり、「皇嗣」(皇位継承順序第一位の皇族)は、前帝崩御の直後(即日)に「践祚」(皇位を践む事実上の即位)することが原則となってゐる。
 今回の皇位継承は、その原則を残したままで、御高齢による例外として「天皇」が「退位」されたら「皇嗣が直ちに即位する」(「特例法」第二条)ことになったのである。 従って、御譲位と御践祚(即位)は、同日「直ちに」一連のものとしておこなはれるのが当然であらう。

譲位の儀と践祚・朝見の儀

 その儀式について、前稿では、今上陛下が「剣璽を皇太子殿下に手渡しされ」「その際、今上陛下から譲位の“お言葉”を賜は……ることが望ましい」と記した。
 それに対し、「読売新聞」十月二十七日朝刊によれば、政府は天皇陛下御自身が譲位の「お言葉」を述べられると、「天皇の意思表明とみなされ、天皇の政治的権能を禁じた現行憲法に牴触する、との指摘を招くおそれがある」ことを懸念してゐるといふ。
 これは奇妙な理窟である。「世襲」の象徴天皇が「皇位」を退き、「皇嗣」に譲ると仰せられても、憲法第四条の「国政に関する権能」にあたらない、と考へられる。しかし、内閣法制局すら過敏な解釈に立ってゐることも無視できない現在、次のやうな在り方でやむをえないと思はれる。
 すなはち、上図に示したとほり、A「譲位の儀」とB「践祚の儀」(内輪の即位式)は、同日同所(平成三十一年三月三十一日、宮殿の正殿松の間)において執りおこなふ。
 まづ今上陛下が皇位を退かれることを、宮内庁長官(前近代の「宣命使」に相当)から表明する。
 ついで御前の剣璽等が皇太子殿下の御前へ移される(前回の「剣璽等承継の儀」)。そこで、殿下は、日本国憲法と特例法により、「直ちに即位する」ことを宣言される。
 この両儀が「国の儀式」として実施される一両日後(おそらく四月二日)、C「即位後朝見の儀」が同所でおこなはれる。
 まづ新天皇陛下から上皇陛下への謝辞と全国民への決意を表明されると、総理大臣から上皇陛下への御礼と新天皇陛下への祝辞を奏上する。
 その後、できれば天皇・皇后両陛下お揃ひで、長和殿のベランダに並ばれ、参集する有志国民の奉祝に応へられる、といふやうな新しい場面をも工夫していただきたい。

新元号の内定・決定と施行

 このA=BとCとの間の、四月一日から新元号が施行される、といふことは、一部既報のとほりで差支へないと思はれる。ただ、もしその一日にB「践祚の儀」が執りおこなはれるならば、新元号はその終了後からしか有効にならない。
 なぜなら、昭和五十四年制定され「平成」改元に適用された「元号法」によれば、「元号は(政府が)政令により定める」が、その「元号は、皇位の継承があった場合に限り改める」と一世一元の原則が明記されてゐる。
 従って、皇位の継承といふ事実が確定しなければ、改元は公式に決定しえない筈である。
 ただ今回は、年内に「皇室会議」の議を経て御譲位と御践祚の日程が内定されたら、政府としては、来年早々(おそらく三月末まで)に新元号案を選定し、内定案として公表することができよう。
 そして明後年三月末日に皇位継承の儀が済めば、直ちに内定案を原案として正式に閣議で決定し、政令に新天皇陛下の親署と御璽の押印を頂き(国事行為)、官房長官から新元号と首相談話を公表することにならう。
 その新元号は、「平成」と同様、公布の翌日(四月一日)午前零時から施行する。さうすれば、年度暦(学年暦など)の初日から新元号でスムーズにスタートすることが可能にならう。
 この点からも、御譲位と御践祚は、三月三十一日に一連の儀式として完了される必要がある。
(平成二十九年十一月三日稿)
(京都産業大学名誉教授・モラロジー研究所教授)