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大嘗祭は茅葺きで 筑波大学名誉教授・日本茅葺き文化協会代表理事 安藤邦廣

平成31年02月11日付 5面

大嘗宮の屋根

 大嘗祭とは、天皇が即位後初めて、新穀を天照大神および天神地祇に奉り、御親らも食す祭りである。これは、稲作農耕を旨として国づくりをするといふ日本古来の歴史に由来するものである。『古事記』によれば日本は「大八島国」「豊葦原水穂国」と称され、豊かに葦が生ひ茂り、稲穂が瑞々しく実る国と称へられてゐる。
 日本は温暖多雨な気候で、森林が優勢する植生の国土であるが、稲作農耕が伝へられて以来、森を切り開き、湿地を開墾し、水田を拡大することによって、国づくりをすすめてきた。豊葦原水穂といふいはば草原の風景を森にかはってつくらうといふ意味が、そこにこめられてゐると考へられる。稲を刈って実りをいただき、その神聖な作物である稲穂を神に捧げる。大嘗宮の屋根をイネ科の草で葺くことはそのことにつながってゐるのである。
 茅葺きの屋根を葺く茅にはススキ、ヨシなどのイネ科の多年草が使はれるが、これらの茅は春に生えて秋に枯れ、そしてまた生える。それが常に更新される。大嘗宮は天皇即位に際して新たに造られ、その祭りが終はると取り壊される。その屋根を清浄な茅で葺くことは、この新たな生まれ変はりのかたちを端的に表すものといへる。以上のことから、大嘗宮の屋根が茅葺きであるのは、古来変はらぬといふことのみならず、そこに大きな意味がこめられてゐるからである。

古代は逆葺き

 茅の葺き方として、根元を下に向けて葺くものと、穂先を下に向けて葺くものの二通りがある。茅は根元が太く丈夫で長持ちする。その根元を下、すなはち外側に向けて葺くと、茅葺きは長持ちし、厚く葺くことにも適してゐる。したがって、今日見られる茅葺きは、厚く葺くことで居住性と耐久性に優れた「真葺き」が一般的となってゐる。
 一方、穂先を下に向けた葺き方は、茅が逆さになるので「逆葺き」と呼ばれる。逆葺きは、柔らかい穂先が外に出るので傷みやすいが、雨仕舞ひに優れ、薄葺きに向き、簡単に葺けるといふ利点がある。また、表面を刈り揃へないので、柔らかく優美な表情を持つ。今日でも、簡易で仮設的な建物には、逆葺きが用ゐられる。
 ところで、『万葉集』第八巻(一六三七)に「波太須珠寸 尾花逆葺 黒木用 造有室者 迄万代」(はだすすき、尾花逆葺き、黒木もち、造れる室は、万代までに)といふ歌がある。これは、黒木すなはち皮付きの丸太を組んで茅の逆葺きとした家が末長く続くことを讚へた歌であり、『延喜式』等に記されてゐる大嘗宮のつくり方にもほぼ一致する。
 また、日本列島の南方の地域、奄美、沖縄諸島の茅葺きは逆葺きが一般的であり、またその先の台湾や東南アジアの諸国でも同様である。これは、高温で多雨な地域において、雨仕舞ひに優れる逆葺きが適してゐるからと考へられる。一方、北方の地域では真葺きが主流である。これは雨が少なく寒さの厳しい地域で、それをしのぐために厚く葺ける真葺きが選択されたものと考へられる。
 このやうなことから考へると、日本に稲作が伝来した古代においては、稲作とともに南方の文化が伝はり、茅葺きもまた逆葺きが主流であった。それが『万葉集』にも歌はれてゐると考へられる。大嘗祭が稲作文化に深く結びついた祭りであるとすれば、その当初の姿が南方の逆葺きであったと考へることは自然なことである。その後、日本の茅葺き屋根は、耐久性と居住性に優れる真葺きに変はっていく。前回の大嘗宮もまた、真葺きで葺かれてゐた。しかし今、大嘗祭のあり方が議論される中で、大嘗宮が祭りの間だけの短期間の利用であることも考へると、屋根を古代の簡素な逆葺きに戻すといふことを考へるよい機会ではないだらうか。

茅葺きの継承

 稲作農耕の拡大とともに日本の農村の屋根はほとんどが茅葺きになり、神社仏閣にも広く普及してきたが、近代化や工業化の中で、茅葺きは急速にその姿を消しつつある。その中で、文化庁は昨年、日本の伝統的な木造建築技術の世界遺産への登録提案をおこなった。この伝統建築工匠の技として登録提案がされた大工等十四の職種のひとつに茅葺きも含まれてゐる。昨年度の登録は見送られたが来年には世界無形文化遺産としての登録が目指されてゐる。それに伴ひ、文化財保存のための選定保存技術として、「茅葺」に加へて、「茅採取」が選定された。これは、茅葺きを茅の材料の採取まで含めた一貫した技術として保存継承するための制度であり、衰頽する茅葺き文化に歯止めをかけ、それを後世に伝へる上で大きな支へとなるものといへる。
 世界的にみると、ヨーロッパでは、近代化の中で衰頽した茅葺きが今日見直されてゐる。それは、伝統文化の再評価のみならず、茅葺きが環境問題や資源問題の中で見直され、そのやうな社会背景を受けて茅葺きは復活を果たしてゐる。それを受けて、平成二十三年に国際茅葺き協会(International Thatching Society=ITS)が、イギリス、オランダ、ドイツ、デンマーク、スウェーデン、南アフリカの六カ国によって設立され、日本は二十五年に加盟してゐる。ITSでは二年に一度各国持回りで国際茅葺き会議を開催し、各国の茅葺きを取り巻く社会的状況や技術的課題についての情報交換や研究発表がおこなはれてゐる。その第六回大会を、今年五月に岐阜県の世界遺産集落白川郷にて開催することが決まってゐる。日本大会には、海外からおよそ百五十人の茅葺き職人が集合するが、彼らは、日本の独自に発達した地域性豊かで高度な技術を持った美しい茅葺きについて高い関心を寄せてをり、日本の職人との技術交流を楽しみにしてゐる。
 日本においても平成二十二年に、茅葺きの文化と技術の継承と振興をはかり、もって日本文化と地域社会の発展に資することを目的に、一般社団法人日本茅葺き文化協会が設立された。これは日本各地で茅葺きに取り組む職人や、所有者、支援する自治体などで構成され、茅葺きを取り巻く環境保全や里山保全そして自然エネルギー利用などの関係者と連携をはかりながら、茅葺きの新たな復活を探り、茅葺き文化の継承に取り組んでゐる。
 以上のやうに、茅葺きは日本の伝統文化として再評価され、世界遺産にも登録される予定であり、国際大会を通じても、日本の茅葺きはいま世界的に大きな注目を集めてゐる。
 この時期に大嘗宮が茅で葺かれることは、日本の茅葺きの歴史を遡り、茅葺きが稲作農耕と深く結びついてあることの意味をあらためて考へ直すよい機会といへる。伊勢の神宮の正殿をはじめ主要な社殿が茅で葺かれ、それが式年遷宮として永く繰り返されてきたことにもつながる重要な意味がそこにはある。
 大嘗宮の茅葺きが次の即位に際して途絶えることがあるとすれば、その文化的損失は計り知れない。大嘗宮の茅葺きに費用がかかりすぎるといふ議論がされる中で、簡易な葺き方である古来の逆葺きに戻すことは、その費用の削減にもつながる。また、簡素で機能的な美しさは、賞讚すべき日本の文化の特質であり、新しい世にもその変はらぬ姿を示すことはとても大切なことではないかと考へる。関係者をはじめ国民の幅広い議論の中で、大嘗宮の屋根が正しく選択されることを願ふものである。

(写真)
㊤タイの山地民の高床住宅・チガヤの逆葺き。高床住宅と稲作を共有する日本の弥生時代の高床住宅とも似てゐるとされる。㊥大和地方民家の稲ワラの逆葺き。秋に収穫した稲ワラで真葺きの上に逆葺きを施し、毎年逆葺きの部分だけ葺き替へる。実りへの感謝と屋根が清らかに若返るといふ二つの意味がある。㊦長崎県壱岐市原の辻遺跡のススキの逆葺き。復原された弥生時代の住居。