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論説 教化会議 斯界興隆の底力示したい

平成22年11月22日付 2面

 十一月十・十一の両日、神社本庁で全国教化会議が開かれた。平成二十年から三カ年継続の「教化実践目標」の最終年に当たる今年度は、これまで取り進めてきた神宮式年遷宮奉賛の推進活動や教化組織の整備充実に向けた過去二年の総括と、来年度から施行される新たな三カ年の実践目標などについて討議した。
 次の実践目標は、その最終年が神宮式年遷宮の遷御が斎行される平成二十五年といふこともあり、遷宮奉賛活動の完遂が最大のテーマになるだらう。これに加へ、皇室敬慕の念の喚起・醸成や国旗・国歌・祝日の意義啓発、神宮大麻頒布向上をはじめとする神宮奉賛、鎮守の杜の保護育成、神社が地域社会や日本文化に果たしてきた意義の啓発、神道教化組織のさらなる充実や相互連携による教化力向上など、実践目標に掲げられる項目の範囲は多岐に亙る。
        

 神社本庁の教化実践目標は、教化活動の実効性を高めるべく三年に一度、策定されてをり、このところはとくに式年遷宮を含む神宮奉賛、神社界の教化活動の基盤となる組織力の充実、さらに次世代への継承に重点が置かれてきた。
 これらの実践に向け、神社本庁、神社庁、同各支部、各神社、神職ら、それぞれが取り組むべき具体的な項目が挙げられ、関係諸団体や氏子崇敬者への周知徹底も課題に掲げられてきた。
 教化活動の実践には、一定の型があるわけではない。当該神社の立地条件や規模、信仰実態などはさまざまであり、画一的にはおこなへない事情もある。しかし根源的にいへば、日常的な敬神生活や祭祀奉仕自体が実は教化活動そのものにほかならないといふことができる。神社人の一挙手一投足の中に、教化の働きが秘められてゐる、といっても過言ではないのだ。その基本的な教化の姿勢がなければ、いかに見た目に華やかな活動であっても、必ず実質の伴はないものとなる。
 また、教化活動は神職はじめ責任役員や総代、氏子青年などの神社関係者、そして氏子崇敬者らが、それぞれの立場から参画しなければならない。とくに神社が率先しておこなふ教化活動は奉仕神社だけでなく、広く我が国の歴史や今日の社会状況、人々の暮らしぶりなどを十分理解したうへで臨まねばならないものである。
        

 インターネット普及などの影響から、近年では神道教化といふと、神社や我が国の伝統文化に対する知識の浅い層を対象にした活動を重視しすぎる傾向が看て取れる。
 確かに教化活動は、その時代時代の条件に応じて工夫され実践されるべきであり、現代の論理と心理を無視した活動では、好結果を期待できるはずがない。敷居を低くすることも大切であらう。しかしそれを意識するあまり、現代人の「教化」でなく大衆への「迎合」へと活動が歪められる虞があり、多くの神社人たちは、かかる時代ごとにこのヂレンマと戦ってきた。教化活動の難しさはこの点にあるといってよい。
 昨今の「パワースポット・ブーム」などを根柢から否定するつもりはないが、神社の教化活動とは、単なる俗的な御利益信仰や特定神社の宣布に留まることではない。教化実践とは、ひいては活動の主体たる個々の神社人の自律的行動に委ねられることになるのだが、その主たる目標はより広い御神威の発揚と御神徳の昂揚であることを今一度肝に銘じたい。
        

 各地の教化関連の会議では毎回、教化実践者から、その活動の現代的課題や問題点などが開陳されるが、教化担当者の変更による問題点や課題の引き継ぎ、長・中・短期的問題解決への道筋や、これらに向けた取り組みも、なかなか一朝一夕にいかない現状があるやうだ。
 教化活動の成果はすぐさま現はれるものではない、ともいはれ続けてきた。実践目標に掲げられたさまざまな事項に対する効果測定も曖昧で難しいことが多い。そして結局、教化関連の会議は単なる目標に対する処理結果報告へと陥る危険性を常に孕んでをり、会議自体がマンネリ化してしまふ虞も持ってゐる。
 教化実践目標は斯界興隆のバロメーターであるといっても決して言ひすぎではない。式年遷宮完遂をはじめとする新たな三カ年実践目標は、斯界内外に示すその底力を指針としたい。
平成二十二年十一月二十二日