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杜に想ふ 魂を揺らす音 涼恵

令和6年04月08日付 5面

 この世には、魂を揺さぶる音があると思ふ。声はその人の人生を投影し、楽器を奏でる音にも、その人の生き方や性格が映し出されると感じてゐる。
 ある一人のヴァイオリニスト。一枚目のアルバムから参加してくださり、米国カーネギーホールでも一緒に演奏した。“涼恵”の音楽を表現するには必要不可欠な存在。その音色は繊細で儚げな響きと、狂気を祕めた一心不乱で真っ直ぐな音が同居してゐる。
 まるで自分の本能を楽器が代弁して叫んでゐるかのやう。ヴァイオリンの肉声が喋り出したかのやうな生々しい音。憑依とでも言ふべきか、人間とヴァイオリンの距離が近い。移動中、彼女は赤ちゃんを抱き抱へるやうに大切に持ち運んでゐたのが印象的だった。
 そんな彼女が、活躍の絶頂期、脳梗塞で倒れ、命さへ危ぶまれる深刻な状態に陥る。緊急入院してゐる病院へお見舞ひに行ったら、「ヴァイオリンはもう弾けないかもしれない」と、聞かされた。事態の深刻さに血の気が引いたが、「ゆっくりでいいから、また一緒に奏でたい」と思はず口にしてゐた。
 幾人かは、「それは残酷だよ。諦めさせてあげたほうが良いのに」と忠告してくれた。確かにさうかもしれないと何度も自問自答した。だけど、やはり彼女に会ふと、「また一緒にやらう!」と言葉にしてしまふ。不思議なもので、口にするごとに、この願ひが本当に叶ふと信じられる気がした。言葉を発するたびに未来が近付くやうな……。
 さう言ひ続けて十二年経ったある日、彼女からの連絡「もう一度、譜面がほしい。以前のものは燃やしてしまったが、やっぱりまたやりたい」と。
 嬉しかった。さらに三年経った今年の春、「さくら道」と言ふ曲で、長年の希望は実現した。長い冬が終はりを告げ、春を迎へたのだ。弦から紡ぎ出される音は紛れもなく、あの音だった。復活した演奏に涙が出て止まらなかった。
 奇蹟を目の前で見せてもらった。もっと強くなりたいと願ふ作品の歌詞と呼応してゐた。彼女の努力と精神力を心から讚へ、尊敬してゐる。さらに驚いたことに、私たちの演奏を支へてくれたピアニストの奥様が昨年、脳梗塞にかかり闘病中だといふ。本番当日も聴きに来てくださり、大いに励まされたと喜んでくださった。少しでも力になれたのなら、こんなに嬉しいことはない。待ち続けた、彼女にしか出せない音色が舞台を揺らした。御霊が震へる感覚。鎮魂と魂振は一組だと教はったが、まさにその通りだと思ふ。
 なぜ神道には祝詞があるのか、祈りを言葉にし、声に乗せて、奏上するのか。発声して発動させる。現実を導く言霊の神祕を今回のことで、改めて体感した。生きる辛さを感じるほどに、その意味の深さとありがたさを知ってゆく。
(歌手、兵庫・小野八幡神社権禰宜)

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