杜に想ふ
ウマの娘 植戸万典
令和8年01月12日付
4面
正月早々にしょっぱい話となるが、本号は新春の賀詞で溢れてゐようから、汁粉に添ふ塩昆布のやうなものとして御寛恕願ふ。また過去のことだと済ませられない差別の構造を抱へた迷信をあへて扱ふことも、まさかその再生産が本意なわけもなく、それに向き合ふ必要性を惟るがゆゑであって、本紙愛読者のリテラシーに信頼したものだ。
言ひ訳がましい。ただこんな前口上をしてでも避けては通れない話題が今年はある。
江戸時代後期刊行の画集『絵本百物語』に描かれた「飛縁魔」を御存じか。同書によると、美しい女性の姿ながら夜な夜な男の血や精気を吸って取り殺す妖怪だとされる。色香によって仏道の修行を妨げる天魔波旬の類のやうだが、これは当時の「丙午」の俗信から見るべきものでもあらう。
丙午の年に生まれた女は気性が荒く、夫の寿命を縮める、などとする古臭い俗信を耳にした向きもあらう。生年と性別といふ変更のかなはない属性への揶揄と迫害を伴ふものであり、むろん言語道断な差別だ。十干十二支の「丙」も「午」も火の属性で、当年を凶歳とみなす俗説は古くからあったが、日本では江戸前期の頃から、それを当該年の災ひではなく、特定年代の女性の運命と結びつけた。
寛文六年(一六六六)丙午生まれとされる「八百屋お七」が恋のために放火したといふ虚実も定かでない筋書きの物語が好評を得たこともあって、巷間では上記のやうな俗信が定着した。中国にも羊守空房――未年生まれの女は空いた閨房を守る、とする似た俗信があるが、日本の丙午信仰はわが国独自のものだ。当然、丙午の娘は縁談に難儀するやうになる。さうすると、丙午の女児が忌避されて子流しや間引きといふ悲劇まで起こった。
もっとも前近代のさうした悲劇は丙午とは別個に常態化してゐたもので、迷信はそれに言ひ訳を与へたものとも云へる。近代化後の明治の丙午の彼女らにも自ら命を絶つことを選ぶ者があったが、これも天命が信じられたといふより、性役割や家父長制的な規範意識による同調圧力に押し潰されたものだらう。
しかし昭和四十一年の丙午ではその様子も変はった。吉川徹著『ひのえうま』によると当年の大出生減は受胎調整の推進により出産を前後の年代に振り分けるなどした各家庭の判断の集積であり、生まれた彼女らの人生も総じて悲劇的ではなく、むしろ人口の少なさから進学や就職ではやや得をした実感を持つやうだ。さらに令和の丙午を吉川氏は、干支ですら馴染みの薄い若い世代では社会現象になることはないと予測する。
さて、本稿はサブカルチャーに馴染み深い層ほどタイトルの印象と乖離を感じたのではないか。半面、それへの関心が薄い世代にはそもそもなんのことやら、だらう。ラベルで決めつけて見ることはなにも丙午を知る世代だけではなく、逆もあり得る。自戒をこめて新年の抱負としたい。
(ライター・史学徒)
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