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杜に想ふ 追体験 涼恵

令和8年01月19日付 5面

 祭りのざわめきのなかに、神事の静けさのなかに、神話の語りの奥に、日本人として生きてきた先人たちの息遣ひが、ふと立ち現れる瞬間がある。彼らが何を尊び、何を畏れ、なぜ祈ってきたのかを、理窟ではなく、肌感覚として受け取る。そこに身を置くとき、私たちは過去の出来事を「知る」のではなく、むしろ時間は未来から過去へと流れてゐるのではないかといふ感覚に包まれることさへある。
 四年ほど前のこと、恩師である國學院大學名誉教授・茂木貞純先生の御退職を機に、一般向けの神道塾が毎月開かれるやうになった。神道を学べば学ぶほど、そこには今を生きる私たちに向けて、御先祖さまが遺してくれた知恵と教訓が、確かに息づいてゐることを実感する。
 教義も経典も戒律も持たないとされる惟神の道を、いかに語り伝へるのか。茂木先生は常に穏やかな口調で、独自の解釈を差し挟むことなく、ただ、どのやうな祭りがおこなはれてきたのか、その時代背景や地域ごとの特色を、残された史料と事象に即して丁寧に整理し、吟味して語られる。日本人の生活の延長線上に置かれてゐる事柄を淡々と述べる。その簡素さゆゑに、かへって聞き手の想像力は大きく広がり、時にその声は、先生個人のものといふより、古の語り部の響きとして胸に届くのである。きっと千年以上紡がれてきた言葉が魂を揺さぶるのだらう。
 「追体験。同じ経験をすることは、その時代の先祖の苦労を知ることです。私たちは今も、祭りや人生儀礼を通じて、先祖と同じ体験をしてゐます」。
 この言葉は、歴史を過去の出来事として切り離すのではなく、現在へと結び直してくれる。私たちと変はらぬ葛藤や希望を抱きながら生きた人々が、試行錯誤の末に守り伝へてきたものが、今もここにある。意味や理由を問ふ以前に、まづ身をもって体験することでしか見えてこないものがある。その時見上げた空、吹き抜ける風、土地の気配、季節の花や虫の音に、古からの便りを聴く。同じ経験を重ねることは、実に奥深い。
 お正月、授与所で奉仕してゐた折のこと。参拝を終へた一家が帰りかけたその時、幼いお嬢様がお守りを受けたいと、歩みを戻してきた。真剣な面持ちでお守りを選び、お年玉袋から新札を取り出す小さな手。その姿を見守る親御さんの温かくも誇らしげな眼差しが、ひときは印象に残った。きっと御先祖さまたちも、幽世よりこのやうに私たちを見守ってゐるのだらう。
 どの時代にも艱難辛苦はあった。それでも守り抜かれた伝統を、私たちの世代でも受け継ぐこと。同じ経験を重ねるからこそ共感が生まれ、物語は続いてゆく。その循環のなかに身を置くとき、私たちもまた、未来へ手渡す側であることを自覚するのである。
(歌手、兵庫・小野八幡神社権禰宜)

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