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選定保存技術「茅葺」保持者 隅田隆藏さんが語る 印象に残るのは檐付祭の祝詞

平成31年04月01日付 5面

 茅葺きの伝統保持・継承に努め続け、文化庁の選定保存技術「茅葺」の保持者に認定される唯一の職人・隅田隆 さん(九三)。隅田さんは平成の大嘗祭、昭和四十八年の第六十回と平成五年の第六十一回の神宮式年遷宮でも茅葺きを奉仕してきた。今回はそんな隅田さんに、茅葺きにかけるさまざまな“想ひ”を語っていただいた。

茅葺き職人の道

 奈良県吉野郡上龍門村(現・宇陀市)で生まれ育った隅田さんが茅葺き職人になったのは、母方の叔父が三代続く茅葺き職人の家で、親から「うちの屋根だけでも葺けるやうに習ってこい」と言はれたことがきっかけ。大東亜戦争時には兵役に出たものの、当時の親の言葉は忘れることなく抱き続け、親方が復員後、二十二歳から茅葺き職人への道を自然と歩み始めたといふ。
 一人前の職人になるには、長い道のりが待ってゐた。作業は農作業の真っ盛りにはできず、季節や天候にも左右されるため、一年を通して従事できるわけではない。「茅の葺き方を書いてあるものはないし、仮に虎の巻があったとして、それを丸暗記しても屋根は葺けへん。書いたもんではなく体で覚えないとならん」とそのむつかしさを強調する。「普通に葺けるやうになるまで、最低三年はかかるやらうか。一人前ちゅうたら技術だけではなくて口で伝へることもできないとならんし、見積りができないといけない、十年はかかるもんやらうか」と振り返った。
 茅を葺く上で大事にしてゐるのは「一年でもえらいこと長持ちすること」「格好がええこと」「一日も早う仕上げること」の三つだと笑顔で語る。「葺き上げた屋根が天空に映えて匂ひすら感じる」ものにしたいといひ、「たいへんなところをびしっと決める。水が伝はないやうに葺くことができたらありがたい」と細部まで神経を遣ひ、雨の染み込みを最小限に留めることの重要性を語った。

茅葺きの魅力は

 茅とは、屋根葺き材料として使用されるイネ科植物の総称。葦、薄、麦藁、稲藁などさまざまな種類がある。「地元に自然とあるもので葺くから、よそからわざわざ茅を買ふちゅうことはせん。近所も茅葺きだとよう貸し借りもした。所変はれば人の格好も違ふし言葉も違ふ。それと同じで屋根にもその土地の特色なんかがみえる。面白いな」と隅田さんは笑った。
 茅葺きには根元を下に向けて葺く「真葺き」と穂先を下に向けて葺く「逆葺き」の二通りがある。「真葺きは五回葺きで鋏をかけないとならんが、逆葺きは二回葺きで真葺きより早く葺くことができ、使ふ茅の量も少ない。でも平らに葺くのがむつかしくて技術も要る」といふ。「このあたりにも昭和三十八年頃までは逆葺きがようあった。高度経済成長期以降は新築やなんかで逆葺きはないやうになってきたな」と真葺きが主流となっていった経緯を語った。
 茅葺きに長年携はって屋根を葺いていくなかで、隅田さんが気づいたことは「茅の万能性」。「お百姓さんが収穫したものを大切に使ふ心が根付いてゐる。茅はほんまに余すところなく使ふことができるもんで、米を作ったあと、その藁で屋根を葺き、家畜の飼料にもなれば、田畑の肥料にも。竈に入れれば燃料にもなるし、縄も綯ふ。一把の藁も無駄にしやしまへん」と目を輝かせる。その土地に生きる人の営みが屋根に象徴されてゐるやうだ。「“男は三尺の藁、女は三寸の糸を粗末にしたらあかん”なんていふことを、わしの親は言ひましたわ。それほど大事なものだっちゅうことの表れだと思ふ」。

大嘗祭・遷宮も

 そんな茅葺きの大切さを語る隅田さんは、平成二年の御大典において、大嘗宮の悠紀殿の茅を葺く作業に従事してゐる。「天皇陛下の一世一代のこと。人をかき分けてでもいったるといふ気持ちになりました。名誉なことやから、金儲けするところと違ふ、そんなことは度外視でしたわ」と感慨深く話す。
 「悠紀殿を葺いたのは七人。うち手伝ひが二人をった。廻立殿の担当も七人やったが、どういふわけか二人途中で帰ってしもうて。わしは悠紀殿が終はってから廻立殿の応援にまはることになった。四十三日間のうち休みはたった一日しかなかったなぁ」と振り返る隅田さん。「図面はあらしまへん。前回の写真をみただけ。材を渡されておまかせの状態」だったといふ。「昭和の御大典のときに葺いた人はをらんし、職人同士で相談しながらやった」と手探りでの作業を思ひ返した。
 当時、過激派などのテロ行為から護るため、大嘗宮の設営においては、防護(覆屋)が施されてゐたさうだ。室内の作業は九月の下旬から十月の末までと、まだ気温も高い頃で「まるでサウナのやうな環境やって、こんな環境でやることが今までなかったから苦労した。水飲むのをずいぶん我慢して、“喉が渇いた”と思って時計をみるとまだ半時間しか経っとらんかった」と苦笑ひ。しかし、「“これができんと御即位できひん”といふ想ひをもって奉仕した。屋根を葺き終へたときは、お役目を果たせて、それはすごく感動した」と笑顔をみせた。
 神宮式年遷宮の茅葺きにも二度に亙り携はった隅田さんは、伊勢の神宮への想ひも篤い。奉仕の際は「“これが神宮の茅か”と手に取ったときに感動した」といふ。とくに神宮では檐付祭の際「新殿の屋根に葺き奉る萱葉のさはぎなく、引き結ぶ葛目のゆるみなく護り給へ」といふ祝詞の文言が印象に残ってゐるといひ「西行も吉野の山奥に庵を“結ぶ”と記してゐる。“結ぶ”といふが釘もボルトもない時代、なにをもって茅を締めてゐたんやらう……それが“葛の眞藤”。使ってみると藁縄より使ひやすい。草葺きの総称を“葛屋”ちゅうのはここからきてる。その言葉が神宮さんの祝詞にもでてくる」と語る。「茅を引き締めるだけではだめで、引き締めて結んでおかなならん。だから“引き結ぶ”なんやな」。ここにも茅葺きの真髄が窺へる。

茅葺きを未来へ

 今年十一月におこなはれる大嘗祭では、宮内庁の大礼委員会で主要三殿の屋根を茅葺きから板葺きに変更する方針が示されてゐることについて「そりゃものすごく淋しいし、そんなん味気ないわ」と肩を落とす。「そもそも日本の屋根は茅葺きから始まってるさかいに、板葺きっちゅうはそれに比べて歴史が浅いやらうと思ふ。やっぱり茅葺きがええなぁ。茅には伝統が詰まってるから」と思ひを馳せた。
 平成十四年に文化庁の選定保存技術保持者に認定されたときは「とても嬉しかった」といふ。「その看板を背負っとったら下手な仕事はできひん。より一層身が引き締まる思ひやし、何か訊かれても“知らん”とは言へへんし。どこにもついてまはってくる」とその重みも語った。
 茅葺き屋根の民家も減り、仕事が少なくなってゐることも影響し、職人も減少傾向にあるが、隅田さんは後継者の育成にも長らく携はってきた。後進に「教へたいことはたくさんある」。まだまだ現役の隅田さん。茅葺きの伝統の重さや、人々の生活と結びついた温もりを感じながら、今日も屋根に上る。
(了)

(写真)
「やっぱり茅葺きがええなぁ」と隅田さん
葺いて間もない逆葺きの屋根㊤、年月を経た逆葺き屋根の住宅㊦