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論説 神青協七十五周年 神道の起点と不易流行

令和6年05月06日付 2面

 今号掲載の通り、神道青年全国協議会(=神青協)の創立七十五周年記念大会(物故者慰霊祭・記念講演・記念式典・記念祝賀会)が、四月二十三日に東京・明治記念館で開催された。
 七十周年以降のこの五年間は、新型コロナウイルス感染症の影響により神青協の主要な事業の一つでもある参集しての研修会の開催を自粛するなど、厳しい運営を強ひられた時期でもあった。しかし、そのやうな状況のなかで青年らしい行動力と柔軟な発想力を発揮し、情報機器による遠隔形式など新しい手法を積極的に取り入れることで活動を継続してきたのである。このたび、疫禍前のやうに盛大に式典や祝賀会が開催できたことは関係者にとって感慨もひとしほであらう。
 まづ以て、神青協が昭和二十四年の創立から七十五周年の節目を迎へたことに祝意を表するとともに、引き続き斯界の尖兵としての青年神職の活躍に期待するものである。


 七十五周年に際して記念事業を実施するにあたり、神青協が掲げた主題は「起点~本質を継ぐ~」であった。
 その趣旨文からは、急速に変化していく社会に神社が取り残されるのではないかといふ危機感と、神社神道の起点を理解して本質を守りながら変化に対応していかうといふ思ひが読み取れる。かうした不易と流行、伝統と革新を調和させていかうといふ姿勢は、すでに『古事記』に「稽古照今」として簡潔明瞭に示されてゐる。
 もちろん、神職養成機関における数年の修学のみで本質を理解し尽くせるほど、神社神道は浅薄なものではないだらう。また、神職資格の取得が神職としての完成を意味しないことは、神社本庁が生涯学習の充実のために研修制度を設けてゐることから明らかで、多くの先人たちも「神職は一生修行」といった趣旨の訓誡を残してゐる。ましてや青年神職は、修行等の過程を表すいはゆる「守破離」でいへば「守」の段階である。そのため神青協の研修会においては当然のやうに神社神道の本質に関はるやうな講義が多くおこなはれてきたが、近年は神道とは何か、神職とは如何にあるべきかを直接問ふやうな講義内容は、やや少ないやうにも見受けられる。


 代はりに目につくやうになったのが、一般企業などにおける経営あるいは広報から学び、神社において転用しようといふ趣旨の研修会である。広く知識を学ぶことは大切だが、神社と一般企業などには非営利と営利といふ根本的な相違があり、かつ神社としての歴史・伝統、わけても祭神の神慮などを踏まへず、安易に一般企業などの経営・広報の手法を導入しようとすれば、神社の本質を毀損することにもなりかねない。換言すれば、いかに神社の護持運営にとって良いことに見えても、それが神慮に反するやうであれば採用できないのである。
 記念大会の祝賀会では彬子女王殿下より、何が神様の御心に適ふのかを常に心に置くことが大切であるとのお言葉を賜った。神祇なくして神道はなく、神慮より我意を優先することは神道に反する。端的かつ正確に神道の起点をお示しになられたお言葉であり、すべての神道人が拳拳服膺すべきことといへよう。また、記念講演の講師として登壇した老舗和菓子店・株式会社虎屋代表取締役会長の黒川光博氏は、社会変化に対する適応と経営理念の重要性を説きつつ、虎屋の昨今の革新が創業時から変はらぬ経営理念に支へられてゐることを強調した。


 神社神道の次代を担ふ青年神職が、道統護持のために社会変化に適応した革新を目指すのであれば、まづは神祇と真剣に向き合って神慮に適ふとの確信を得るところからはじめるべきであらう。現状は、ややもすれば社会が急速に変化していくことに対する危機感・焦燥感が先行し、地道に行学に励むやうな姿勢が少し後退してしまってゐるやうにも感じられる。
 今般、創立七十五周年の記念大会にあたり、ありがたくも彬子女王殿下より神道の起点についてのお言葉をいただき、また黒川氏から不易流行の実例を学ぶことができた。これを糧として青年神職がますます研鑽を重ね、組織としてもさらに結束を強め、斯道興隆の礎となってくれることを願って已まない。
令和六年五月六日

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