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大嘗宮は茅葺屋根で 神保郁夫

平成31年04月29日付 5面

 平成三十年十二月十九日、宮内庁が主管する「第三回大礼委員会」において、大嘗宮主要三殿の屋根材が「茅から板葺き」に変更されることが発表された。この変更については、一部神職間で話題になった程度で、残念だが大きな課題となってゐない。唯一、神社新報紙面上で年始より「大嘗宮と茅」を題材とする識者の声が連載されてゐる。
 神社本殿の屋根に当てはめて考へてみると、屋根の素材変更について苦慮した経験を持つ神職も多いことであらう。一般的に神社の屋根も、今回の宮内庁の変更理由と同様、経費や工期、耐久性などを熟慮しながら、専門家の意見を参考に建物の構造や様式に合はせて屋根材の変更を検討、決断する場合が多い。
 神社の屋根材は、檜皮、板、瓦など多様であるが、本来は大嘗宮と同様に茅葺屋根も多く存在した。しかし、明治の後期から民家の多くが茅葺きから瓦へと変はることによって、神社の屋根もまた「茅から瓦へ」「瓦から銅板へ」と、その姿は変化していった。
 かうした社会環境の変化の中にあって、建物本来の意義と伝統を重んじ「茅葺屋根」を守る代表格が伊勢の神宮と大嘗宮の屋根ではなからうか。

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 今回の大嘗宮屋根の板葺き変更は、伊勢の神宮が社会的な背景により「茅から板」に変更する決断をしたやうなものだ。
 大嘗祭も神宮式年遷宮も、共に天武天皇、持統天皇の御代を端緒とし、古代法制書とも言へる『延喜式』に定められた国家祭祀を起源に持つ。一時の中断を経て時期は異なるが、人々の懸命な働きかけによって再興され、先人たちが守り伝へた国家の重儀である。
 さらに明治四年の大嘗祭では、祭儀の趣旨を定めて殿舎の規模などを拡充、一部の施設を廃するなどしたが、本質においては変更してゐない。『明治天皇紀』には大嘗祭の趣旨について次のやうに記されてゐる。
政府祭儀の趣旨を定む、其の概要に曰く、(中略)最も簡易朴素を旨とす、然れども是れ固より猥りに古例を廃するにはあらず、時世の変遷已むを得ざるに出づ、但し悠紀・主基両殿の建造並びに殿内の儀式、御親祭の次第等に至りては、一に旧典に従ひ(後略)
このやうに大嘗宮建造に際しては、『儀式』『延喜式』などの「旧典」を尊重したことが明記されてゐる。
 祭祀空間の構成は神を迎へるに当たって最も尊重すべき事項で、江戸期の再興に際しても平安後期からの高床方式の建築を基準とし、建築素材は『儀式』や『延喜式』を参考に柱は「黒木」、屋根には「茅」が使はれ、明治を経て平成の大嘗祭へと受け継がれていった。
 しかし何と言ふことであらうか、新帝陛下の大嘗祭は、千三百年以上の伝統を変更し、板葺宮殿で斎行すると言ふ。

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 では、平成の大嘗祭に際して、殿舎はどのやうに建築されたのか。宮内庁が平成六年九月に刊行した『平成大礼記録』には、六十有余年ぶりとなる大嘗宮建設に際して、宮内庁担当者が伝統と現実とのはざまで、苦慮された痕跡を見出すことができる。
 同書には、大嘗宮の設営に際して次のやうな記述がある。
本来大嘗祭は自然の素材を使って短期間に造るものであるから、材料は質素なものでよく、また、前回の仕様材料にこだわる必要もなく、むしろ材料・工法の工夫、規模の縮小等により、費用を極力少なくするという方向で計画を進める
これが建築の基本姿勢となり、計画が立案された。そして屋根に関する記述は次の通りである。
昭和度は斎庫と幄舎の 葺を除いてすべて萱葺又は苫葺であったが、今回は悠紀・主基・廻立の三殿を萱葺とし、帳殿、小忌幄舎、殿外小忌幄舎、膳屋及び斎庫をウッドシングル(カナダ杉長さ450mmの割り板)葺としたほか(後略)
驚愕の内容と理解したのは私だけだらうか。平成度の大嘗宮において、すでに大幅な変更が生じてゐた。からうじて主要三殿(廻立殿は『儀式』では板葺)は茅葺の伝統が守られたものの、本来は茅であるべき神饌所ともいふべき「膳屋」もまた外材による板葺となってゐた。
 平成の大嘗祭に際して、どれだけの神道人が大嘗宮の様式変更を知ってゐたのだらうか。

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 現在、安藤邦廣筑波大学名誉教授が代表理事をつとめる「日本茅葺き文化協会」では、宮内庁に要望書を提出し、再考の要請をおこなってゐる。
 安藤代表は、宮内庁に対して予算上の問題であるならば、江戸時代以前の大嘗宮屋根の工法に戻し、「逆葺」で施工すれば、「真葺」の約三五%の予算で可能と提言した。そして宮内庁側は、この提言を受けて安藤代表と面談をおこなったやうだ。その際、宮内庁は予算の問題以上に、陛下が皇祖神に御奉仕される建物の安全性や、十一月に斎行される大嘗祭までに遅滞なく確実に工期が完了することが大前提であると述べ、前例のない工法の採用に懸念を示したと伺ってゐる。
 そしてさらに、安藤代表は安全面を保証するためには、伊勢の神宮が採用してゐる工法、即ち茅葺の下葺きとして板を張り、茅を葺きあげるまでの間の雨仕舞をおこなひ、その上に逆茅で葺く方法も提案したが、工期を理由に要望は難航してゐるといふ。
 日本の茅葺技術は、国際的にも評価が高く、本年五月、岐阜県・白川郷にて「第六回世界茅葺き会議」が開催される。かうした事柄も安藤代表の信念を揺るぎないものとしてをり、要望書では「この時期に大嘗宮が茅葺きで葺かれることは、日本の茅葺きの歴史を遡り、茅葺きが稲作農耕と深く結びついてあることの意味をあらためて考え直すよい機会」となると主張してゐる。

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 果たして大嘗宮建設の本義とは何であらうか。東京新聞(三月二十五日夕刊)の大嘗宮屋根に関はる取材に宮内庁坪田管理部長(三月末退職)は、
板葺きにすることで、自然素材を用いて短期間に建設するという大嘗宮の伝統は維持できると考えている
と説明した。しかし、大嘗宮建築の最も重要な伝統とは「茅」、しかも生命力の高い「青茅」に意味があるのだ。前述した通り、大嘗祭は神宮祭祀と深く連動する国家の重儀であることは言ふまでもない。従って神座が調へられる殿舎は、神宮同様に茅葺とすることが大前提となる。
 『延喜式』には、悠紀殿・主基殿の屋根のみ「青茅」と敢へて「青」を付して記される。大嘗宮の屋根は、単なる建造物ではなく、そこに日本人の茅に対する特別な思ひが潜んでゐるからこそ、千三百年の時を越えて守られてきたのではないか。
 今回、宮内庁の大嘗宮建設の方針が提示され初めて、大嘗宮建設に関はる大幅な変更の端緒が平成度の大嘗祭にあったことを知った。当時の神社界は、現行憲法下で大嘗祭がどのやうに斎行されるのかが最重要課題であり、殿舎の構造など細部を検証し、宮内庁に要望することはなかった。大嘗祭後も、奉祝活動に主眼が置かれたため、検証作業がなされてゐなかったことは事実である。そして、そのつけが今般かうして現れたのだ。
 茅葺屋根を現代において如何にして守り継承するのか。「日本茅葺き文化協会」の活動には心から敬服するばかりである。宮内庁がぜひとも再考されることを心より念願したい。そして茅葺屋根を将来に伝へるため、本年斎行される大嘗祭の後、しっかりとした検証作業をおこなふことは重要な意味を持つ。このことを私たちは肝に銘じなければならない。
(神社本庁参事)