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「皇族女子」御結婚後の役割と呼称 京都産業大学名誉教授 所 功

令和2年12月07日付 5面

先送りとなった 附帯決議の内容

 昨年の四月末日、平成の天皇が譲位されたのは、三年前(平成二十九年六月)制定された「皇室典範特例法」に基づく。その際、衆参両院で与野党合意の「附帯決議」を政府に提示した。
 それは三点あるが、三の改元にあたり「万全の配慮を行うこと」は、すでに大過なく済まされた。
 しかし、一「政府は、①安定的な皇位継承を確保するための諸課題、②女性宮家の創設等について、皇族方の御年齢からしても先延ばしすることはできない重要な課題であることに鑑み、本法施行後速やかに……検討を行い、その結果を、速やかに国会に報告すること」とし、その報告を受けたら、二「国会は……『立法府の総意』が取りまとめられるよう検討を行う」としてゐる(便宜①②、傍点を加へた)。
 ところが、その後①も②も政府は本格的に検討せず先送りしてきた。むしろ民間では、神社新報社の「時の流れ研究会」で真剣な検討を重ねて見解を公表したり、同会と力点の異なる私案を提示したりしたこともあるが、それらが参考にされた形跡は見当たらない。

公用御分担への 期待が昂ってか

 ただ、今年に入ってから内閣府は専門家数人より内々に意見を聴いてゐた。しかも、十一月二十四日(一部翌日)、全国紙などにより不思議な政府案が報じられた。
 たとへば、朝刊一面で取り上げた読売新聞は、「皇族女子 結婚後に特別職『皇女』創設 政府検討」と大見出しを打ち、「政府は……、結婚後の皇族女子を特別職の国家公務員と位置づけ……『皇女』という新たな呼称を贈る案が有力視されている」といふ。
 このやうな案が捻り出されたのは、皇室の公務を皇族として分担できる方々が次々減少してゐるからである。
 現行の「皇室典範」第十二条によって、「皇族女子」は、一般男性と婚姻すれば「皇族の身分を離れ」なければならない。そのため、「皇嗣」秋篠宮家の二内親王(二十九・二十五歳)も、また三笠宮家の二女王(三十八・三十七歳)と高円宮家の一女王(三十四歳)も、さらに内廷の内親王(十九歳)も、結婚により不在となる虞が高い。
 そこで、たとへば秋篠宮家では、宮中におけるお務め(祭祀を含む)のみならず、宮外において公的団体の総裁・名誉総裁(合計十五以上)などがある。それらの多様な公用を皇嗣・同妃両殿下だけで完遂されることは難しく、また未成年の親王(十四歳)は表に出られない。そのため、二内親王に結婚後も分担してほしい、といふ期待が昂ってゐるのであらう。

「皇女」は天皇の 女子に限られる

 これが偽らざる現状であらうから、政府案も当面の弥縫策としてやむを得ないかもしれない。
 しかし、そのやうな方々に「『皇女』という新たな称号を贈る」案は、まったく解し難い。
 「皇女」とは、歴史上も慣習的にも、天皇のもとに生まれた女子のみを指す。念のため、千三百年前に勅撰された『日本書紀』は、天皇の男子を「皇子」、天皇の女子を「皇女」と書き分ける例が多い。また「大宝(養老)継嗣令」では、天皇の男子も女子も「皇子」とするが、その後の記録や史書は「皇子」と「皇女」を区別してゐる。
 一方、現行の「皇室典範」も、第六条に「嫡出の皇子及び……皇孫は、男は親王、女を内親王とし、三世以下……の子孫は、男は王、女は女王とする」と定めるが、一般に天皇の男子を皇子、天皇の女子を皇女と使ひ分けてをり、天皇所生の女子のみが「皇女」なのである。それを無視して、皇室で生まれ成育された「皇族女子」すべてに、御結婚後も「『皇女』という新たな称号を贈る」といふやうな皇室用語の拡大濫用は、厳に慎むべきであらう。

公用御分担なら 内廷職員として

 報じられた政府案では、そのやうな御結婚後の「皇女」を「特別職の国家公務員と位置づけ」るといふ。これも不適切といはざるを得ない。
 公務員は特別職であれ、政府・官僚組織に雇用され、上司に服属する立場にある。しかし、皇室の公務・公用は、皇族たちが天皇陛下のもとで分かち担はれるのだから、もし皇族女子に御結婚後も公用の一部を分担してもらふのであれば、天皇直属の内廷職員として奉仕できるやうにすることが望ましい。その呼称は「元内親王」「元女王」でよく、新たに作る必要などないと思はれる。
 ともあれ、皇族女子の御結婚により、公務・公用の分担どころか、宮家の存続も困難な現状を直視する必要がある。
 そのためには、附帯決議の要請に即し、将来に備へて、たとへば①皇位継承に一代限りの男系女子を容認しておくとか、②旧宮家子孫の適任者を継嗣のない現宮家に養子に迎へうるやうにするなどの案を総合的に検討してほしい。
 今や従来の原則論をふまへながら、国会で与野党合意の可能な具体案をとりまとめ、一年以内に実現されることを念じてやまない。
(令和二年十一月二十五日稿・十二月一日修訂)