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簡単に覚えられる歴史的仮名遣ひ簡単に覚えられる歴史的仮名遣ひ

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13.「向ふ」「向う」

 もう一つ音便の話です。「向ふ」といふハ行四段活用動詞には、「向う」と書く場合があります。
 「向ふ」は、「むか・はない」「むか・ひます」「むか・ふ」「むか・ふとき」「むか・へば」「むか・へ」と活用します。活用語尾のすぐ上はすべてkaの音で発音しますが、ko・uとkoの音で発音する場合があるのです。「向うに」「向う側」「向うの方」「向う三軒両隣」といった例です。すべてko・uと発音します。「むかひに」「むかひ側」「むかひの方」「むかひ三軒」のhi音が、すぐ上のkaがkoに変はったために、それにひかれて変化した、これも音便変化「ウ音便」で、この場合は「ふ」と書かずに「う」と書くわけです。
 ずいぶんむづかしく説明しましたが、要するに「向ふ」と「向う」の遣ひわけは、「mukau」と「ka」で発音するときは、「ふ」、「mukou」と「ko」で発音するときは「う」と書くと覚えておいてください。
 「向う三カ年の活動方針」と書くのが正しくて、「向ふ三カ年」と書くのは誤りです。
 「ウ音便」で「ふ」と書かずに「う」と書くものは、このほかに「問ひて」→「問うて」、「給ふた」→「給うた」ーーなどがあります。

14.「ぢ」と「じ」、「づ」と「ず」

 「現代仮名遣い」は理屈に合はないといふ例証で、一番理解しやすいのが「ぢ・じ・づ・ず」のいはゆる「四ツ仮名」の問題です。
 「地面」を仮名で表記するとき、「地」は「ち」の濁音だから「ぢめん」だな、「世界中」も「中」は「ちゅう」だから「ぢゅう」だな??さう考へたあなたは「現代仮名遣い」を充分理解してゐません。これは間違ひで、「現代仮名」では「じめん」「せかいじゅう」と書かなくてはいけないのです。
 小学校の先生たちは皆嘆いてゐます。「頭の良い子ほど皆この表記に疑問を持ちます」と。先生には子供にその説明がうまくできないのです。「さう書くことになってゐるから覚えなさい」といふだけです。「現代仮名遣い」は発音に重点をおいてゐますから、理屈なんかいらないのです。「ぢ」は「じ」に、「づ」は「ず」にただ書けといふのです。それなら、「ぢ」「づ」はなくなってしまったのかといふと、さうではないから困るのです。「ちぢむ」「つづく」「つづる」「ちぢれる」などのやうな同音の連呼によって生じた「ぢ」「づ」は「ぢ」「づ」と書けといふのです。
 さらに、「はなぢ」「いれぢえ」「まぢか」「みかづき」まだまだたくさんありますが、二語の連合によって生じた「ぢ」も「づ」も、「ぢ」「づ」と書けといふわけです。「せかいぢゅう」が駄目で、「はなぢ」はよいといふ理屈がわかりますか。
 「こんなでたらめな話はない、何とかしろ」といふ不満の声が非常に高まった。それでも文部省は長い間「現代仮名遣いは定着した」と固執してゐましたが、つひに昭和六十一年二月、国語審議会の答申を受けて、「世界中」「地面」なども「『じ』『ず』で書くのを本則とするけれども『ぢ』『づ』を用いることも許容する」としたのです。要するに、どっちを遣ってもいいといふわけです。ずいぶんいいかげんな話ですね。
 「歴史仮名遣ひ」では、「ぢ、じ、づ、ず」の表記法は、「意味を尊重する」といふことをまづ第一に考へること、それに濁音をとって清音で読んでみると大体わかります。特殊なものは数少ないし、覚えるのにそんなに苦労はいりません。

15.「出ず」と「出づ」

 「ず」と「づ」を説明したついでに、現代用語ではめったに出てきませんが、「ず」と「づ」では意味が全く逆になるといふ用例をあげませう。
 「出ず」と「出づ」の問題です。文語では「ず」は打ち消しの助動詞ですから、月は「出ず」と書いた場合は「月は出ない」といふ意味です。後者の「出づ」は「出(い)でズ」「出でタリ」「出づ」…、動詞の下二段活用終止形で、「月は出づ」と書いた場合「月が出る」といふ意味になります。出たと出ないでは正反対ですが、「現代仮名」ではこの場合どちらも「出ず」と書きます。日常用語の中には「出づ」といふ語は出てきませんが、現代短歌、現代俳句の中には「出づ」を「出ず」と書いてゐる用例がよくみられます。「出ず」では「いづ」とは読めないし、出たのか出ないのかさっぱりわかりません。
 やはり「ず」と「づ」の遣ひ分けはきちんとしたいものです。

 元神社新報編輯長 高井和大
 (『神社新報』平成元年二月から十五回連載、神社本庁研修所『歴史的仮名遣ひのすすめ』に収録)