杜に想ふ
梅の便り 八代 司
令和8年03月16日付
5面
一月中旬、雪深い北陸から上京した際、「春を告げる早咲きの梅」があると言はれ、車窓から紅白の梅とともに、黄色い蝋梅との共演を眺めることができた。
それから一カ月を経て、先月二十五日には京都を訪ね、北野天満宮に参詣した。折しも二十五日は御祭神・菅原道真公の御縁日。境内は月ごとの骨董市も賑はふのだが、梅が咲き誇る当月は格別の感がある。国宝の御社殿では、純白の斎服で冠には菜の花の挿頭も麗しく、古儀を伝へる「梅花祭」が斎行されてゐた。
とりわけ、筒状の紙に玄米を敷き、一枝の梅花を挿し立て並べた「紙立」と呼ばれる神饌は「梅花御供」とも呼ばれ、白梅四十二組、紅梅は三十三組と男女の厄年四十二歳と三十三歳に因んだもので、厄除けの祭りの一面ももってゐるといふ。
実は若い頃に、本祭儀を間近く奉拝させていただいたことがあった。三十年ぶりに奉拝させていただいたのだが、遠目にも感慨深く、その後、神楽殿でお参りができたこともありがたかった。昨今のオーバーツーリズムによる喧騒さもなく、そぼふる雨もお清めの雨と感じ入って神恩に深く感謝した。
私自身、菅原道真公へは特別の思ひ入れがある。といふのも能登の実家の産土神社は菅原神社で、藩政期に加賀藩主・前田家が祖先を菅公としたことから一村の惣社格として崇められた古社。また、隣町から嫁いできた母の実家の産土神社も菅原神社――これは御神縁なのか、たまたまなのかは判らないが、おほよそ「天神様」と聞いただけで、何となく背筋が伸び、ありがたく、感じ入ってゐる。
実家には煤けて真っ黒な土人形が神棚に納められてゐる。お顔も判明できないお姿なのだが、それが天神さまと知り得るのは、胸元に微かに梅鉢の紋があるからに他ならない。古びた土人形と書くと神様には誠に申し訳ないが、父祖代々が祈りを捧げてきた小さなお姿はわが家の守り神。能登半島地震で被災して大規模半壊とはなったが、母は「家が直せてまた生活ができてゐるのは神様のお蔭」と手を合はせてゐる。
しかし、例年九月の秋祭りでは「御招待」と呼ばれる神輿渡御のお立ち寄りがあるが、昨年も遠慮をさせていただいた。といふのも「住めてはゐるが屋根が壊れたままだから神様にも申し訳ない」との母の思ひからだ。
昨秋、ブルーシートも経年劣化したことにより、また雨漏りした。大工さんも申し訳なささうに「十一月から屋根修繕と瓦の葺替へに入る予定」と言はれた。それから、年も明けて、はやくも三月となったが今日現在も屋根にはブルーシートが張られたまま。雪解けて産土神社の境内の梅も咲き始めた。春の訪れとともに大工さんからの連絡を母とともに待ちわびてゐる。
(まちづくりアドバイザー)
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