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杜に想ふ 燠入れ 神崎宣武

令和8年07月20日付 5面

 傘寿を過ぎると、さほどに深刻ではないまでも、これまでに解決できてゐないことが気にかかりだす。
 そのひとつに、「白酒」と「黒酒」の一対の神饌は何ゆゑに定型化したか、といふ疑問がある。『酒の日本文化』(平成三年〈一九九一〉、角川選書)を著したときに気にはなってゐたが、醸造技術と飲酒習俗を主題においてゐたために、それには触れないままであった。以後も、折々に気がかりではあったが、怠惰に過ごしてしまった。今あらためて、調査と考察をしておかう、と思ひだしたところである。
 周知のとほり、神前には一対のお神酒徳利が供はる。現在は、ほとんどのところで、いづれにも清酒が入ってゐるのではあるまいか。にもかかはらず、祝詞文のなかに「黒酒、白酒の大御酒」などといふ表記が伝はる。
 そして、清酒以前にさかのぼってみると、「白酒はいはゆる濁酒で、黒酒はこれにある植物の木の枝を灰にして加へ、灰色に着色したもの」といふ解釈がなされてもゐる(矢野憲一『伊勢神宮の衣食住』など)。しかし、その木(植物)の特定は、むつかしい。また、それが加はることによって、液体が灰色化するのか透明化するのか、それも特定がむつかしいだらう。
 ただ、江戸中期編纂の『和漢三才図会』には、もし酒の味が変はって酸っぱかったり苦かったりするときは「木灰を投ズレバ即チ治ル」とあるので、そこに何がしかの合理があった、と思へる。
 その合理とは、米以外の原料で醸す酒に関係してのことではなかっただらうか。私は、さう仮定してゐる。
 たとへば、稗酒。その伝承例については、私が尊敬してやまない民俗学者の先輩・野本寛一さんの『飽食以前―イモと雑穀の民俗』での静岡県西浦における長老三名(明治末・大正生まれ)からの聞きとり調査の報告がある。それは、能衆稗酒(西浦田楽の儀礼・芸能の担当者が世襲で造る稗酒)。一月中旬の「西浦田楽」の祭礼にあはせての口あけとなる。
 ここで「燠入れ」なる火入れが重要になる、といふ。稗を煮た火の燠を藁で包み、素早く桶の稗粥のなかに突っ込む(そこに、大麦の麴を加へる)。現在も、さうした醸造技術は、多少変化はあっても伝承されてゐるだらう。ぜひ訪ねてみたい、と思ふところである。
 稗酒があれば、粟酒もあるだらう。いはゆる雑穀と呼ばれるところの畑作物の応用。雑穀を原料とする酒ならば、水田での米を原料とする酒(古くは濁酒)との一対の意味が強まるのではあるまいか。現在は、さう仮定するところである。
 野本寛一さんは、さうした分野での調査記録を著作への掲載例以外にも多くおもちのはずである。いちどお目にかかって、話を聞いておきたい。とはいふものの、野本さんは、私より七歳も年長。急がなくてはなるまい、と気が急くことである。
(民俗学者、岡山・宇佐八幡神社宮司)

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