論説
神社界の機関紙といふ矜持を胸に 創刊八十周年
令和8年07月20日付
2面
令和八年七月八日、我が『神社新報』は創刊八十周年を迎へた。占領下の昭和二十一年、「神社関係者が諸種の問題に対して正しき認識を持ち、誤りなき態度を採ることに資するべく、ひいては一般国民の宗教的教養の糧ともなすべく、正確にして価値ある報道と各方面の識者の建設的なる主張乃至批判を掲載することを眼目とする」(創刊の辞)と宣言した創刊号より本日付発行を以て三千七百八十四号を数へる。
○ かくも長き間、創刊以来の志操を堅固に保ちながら、「敬神尊皇」の志を具現するために努める神社界の機関紙(決して単なる業界紙ではない!)、木鐸として週刊新聞を発行し続けてきた事実自体、本紙が密かに誇りとするところである。ただ、偏に神社本庁はじめ全国神社関係者、神道人、同信同憂の士、読者各位による御協力、御支援の賜物であることも言を俟たない。
しかし現状に鑑みる時、次の如き疑念も抱かざるを得ない。実際、本紙の報道やオピニオンは全国の神職や神社関係者にどれほど読まれてゐるのか。換言すれば、果たして本紙は今、神社界において必須のメディアとして読まれ、神道人における日常的諸活動の糧として利活用されてゐるのだらうか。
本紙には時折、読者の御意見や叱咤激励も届くが、総じて今、斯界の反応は薄いやうに見える。創刊三周年時の座談会で大坪重明主幹は「読者が本紙を神社の発展に百%利用して呉れない」(昭和二十四年七月十一日付)と吐露したが、かかる草創期の苦悩を今また追体験するかの如き現状にある。
この点、本紙創刊八十周年に当たって刊行された神社新報社編『神社新報ブックス25 神道の弁護士―葦津珍彦の闘ひと眼差し―』で言及されたやうに、神社本庁創立、展開の重要人物で『神社新報』の「育ての親」でもある葦津珍彦のことさへ名前程度しか知らず、その事績や人物像にあまり関心もないといふのが、現在の神職大多数の実情であることとも無関係ではない。
同書掲載の座談会に参加された神社界外部識者の言によれば、葦津珍彦や『神社新報』に関しては、斯界内部よりもむしろ、思想・信条の如何問はず外部の論者に注目され、一目置かれてきたといふ実態が浮かび上がってくる。何とも皮肉な現象と言へよう。
○ かかる状況は、本紙にとって死活問題であり、早晩打開せねばならぬ。さればとて、新聞、雑誌、ラヂオ、テレビが「オールドメディア」と表現される現在、「ニューメディア」とされるインターネット上のソーシャルメディアや、生成AIを駆使すれば万事解決と考へるのは極めて軽率である。これらはあくまでツールでしかなく、結局は神社神道ジャーナリズムの在り方如何といふ問ひなくして局面は打開できない。要するに「神社界が自前で『神道プロパー』としての自覚と見識のある各分野での専門家を早急に確保・養成し、神社界ならではの情報と見識が発信できる『神道ジャーナリズム』を構築すること」(本紙平成十四年五月二十七日付論説)に尽きるが、最早その抜本的再構築が必要な秋に至ってゐる。
また、創刊二十周年時に本紙は、「なによりも重大なのは、その主張の裏に、強大なる言霊の威力を欠くからであらう。われらは神道の先覚の道を継承し、その主張を継承しながらも、その信仰の威力において先覚に及ばない。ここに、われらの主張が、人の心を動かすこと少なく、その影響力の乏しい理由がある」と自省した(昭和四十一年七月二日論説)。我々は、言葉に霊力を宿らせて人の心を動かすべく精進したい。
○ 草創期に緒方竹虎の教示を受けた葦津珍彦が牽引した本紙の「神社ジャーナリズム」は、神社新報社の社風として継承され、独自の強みとしてきた(昭和五十一年二月二十三日付)。
しかし、創刊七十周年の平成二十八年七月十一日付社説で本紙の「言論機関」としての存在意義を訴へ続ける営為の必要性を説かれた執筆者をはじめ、この十年間で葦津に直接指導を受けられた諸先輩が何人も在天の御霊となられた。今や紙面作りの最前線は、葦津の謦咳に接してゐない世代が担ふ。
我々は今後、仮令先人の力量には及ばずとも、神道人にとって必ず読むべき神社界の機関紙としての矜持を胸に研鑽を積み、神社神道ジャーナリズムの真価を発揮することを誓ひたい。
令和八年七月二十日
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