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「即位後朝見の儀」挙行日の疑問 牟禮 仁

平成31年01月28日付 5面

 今年五月一日、「即位後朝見の儀」が「剣璽等承継の儀」ののち同日におこなはれることになってゐる。昨年四月三日に閣議決定された「天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う国の儀式等の挙行に係る基本方針について」のなかで、「即位後朝見の儀」について該当個所は次のやうにある。
即位後朝見の儀は、剣璽等承継の儀後同日に、国事行為である国の儀式として、宮中において行う。
 その期日は、昨年十一月二十日の第二回宮内庁大礼委員会発表の「即位の礼及び大嘗祭関係諸儀式等(予定)」でも同様である。平成のときとの相違は、「即位後朝見の儀」の挙行日が平成のときは一月七日の崩御・践祚(即位)から二日後の九日であったのに対して、「剣璽等承継の儀」と同日におこなふとされてゐることである。
 先の閣議決定された「基本方針」においては、「平成の御代替わりに伴い行われた式典は、現行憲法下において十分な検討が行われた上で挙行されたものであることから、今回の各式典についても、基本的な考え方や内容は踏襲されるべき」との方針が示されてゐるにも拘らず、なぜ今回、「即位後朝見の儀」の期日が「剣璽等承継の儀」と同日に変更されたのか。この変更には不審があり、疑問を提示する。
 まづ、近代における事例を確認しておきたい。この「即位後朝見の儀」は明治四十二年公布の登極令附式では「践祚後朝見の儀」とある。「即位後朝見の儀」は、平成の時の改称である。その登極令では「第一条 天皇践祚ノ時ハ即チ掌典長ヲシテ賢所ニ祭典ヲ行ハシメ且践祚ノ旨ヲ皇霊殿神殿ニ奉告セシム」とし、その附式では「賢所ノ儀 三日間之ヲ行フ」とする。そして、「践祚後朝見の儀」の期日については、附式では「当日」とあるだけで、定められてはゐない。
 実際の「践祚後朝見の儀」「即位後朝見の儀」がおこなはれた日を、「賢所の儀」との関係で整理すると次のやうになる。①大正の際は「賢所第一日の儀」の翌日、②昭和の際は「賢所第三日の儀」の翌日、③平成の際は「賢所第三日の儀」の当日、その儀のあととなる。昭和、平成の際は「第三日の儀」ののちであるのに対して、大正の時は「第三日の儀」の前日となってゐる。
 この違ひを推測するに、明治四十二年に制定・公布された登極令附式では「践祚後朝見の儀」の日にちは「当日」とあるだけであり、その初めての事例となる大正の際には「剣璽渡御の儀」の翌日が選ばれた。その理由は、大正の『大礼記録』では記されない。それが、昭和の際に変更されたのは、三日間の賢所の儀がおこなはれたのちが妥当とみなされた結果と推測され、平成もそれを踏まへてゐると考へられる。
 これに関して星野文彦氏(元北海道神社庁参事)著『御大礼祭祀の御実態と本義』(自家出版・平成二年)に、
賢所の儀は、往時より三日間行われる事になっていて、この第三日の賢所の儀が滞りなく終了しなければ、朝見の儀は行われないと伺っている。即ち、三日間の賢所の儀の終了を以て、三種の神器の継承が行われたとされているのであるから、践祚の式中最も重大な儀と拝しているものである。
と記すのは、氏が教へを受けた宮内庁掌典職関係者の認識が示されてゐるといへよう。そして、「神事を先」とする皇室の伝統を踏まへてゐる。
 ところで、「賢所の儀」を三日間おこなふと定められたのはなぜか。これについては大正の『大礼記録』に、「賢所の儀は、第一日より三日に渉りて之を行はせらる。これは盖し古来御代始には、三個日の間賢所に神饌を供するを例とせらる」とある。加へて、江戸時代には即位礼ののち御代始めに内侍所で三カ夜の御神楽がおこなはれた。これらの例を踏まへ、「賢所の儀」は三日間設定されたのであらう。
 今回、「即位後朝見の儀」が「剣璽等承継の儀」と同日とされることが決定された際、以上のやうな「賢所の儀」が三日間おこなはれることとの関連が検討、配慮されたかどうか。それは、その理由が提示されてゐないために不明である。おそらく、そのことの意義を重視せず、両儀を別の日として二日をとることはなく、譲位(退位)日と即位日は事前に決まってをり、参列者(一月十七日の第三回「式典委員会」決定によれば、前日の「退位礼正殿の儀」と同様になる見込み)側の都合を優先して同日におこなへばよいといふ実務的な考へによってゐることが推定される。
 「即位後朝見の儀」が「剣璽等承継の儀」と同日におこなはれることには、以上のやうな疑義がある。両儀は、天皇の「国事行為」たる儀式であるゆゑに、期日の決定も内閣主導によったのであらうが、皇室祭祀の伝統を尊重すると、「即位後朝見の儀」は賢所の第三日の儀がおこなはれたのちが妥当、適切である。しかし、その変更の可能性はないと考へざるを得ない。その場合、少なくとも文頭に引いた閣議決定の「基本方針」があるにも拘らず、なぜ変更し、同日としたのか。そのしかるべき理由を明らかにすることが求められる。
 なほ、五月一日午前十時三十分からの「剣璽等承継の儀」に引き続いて十一時十分から「即位後朝見の儀」が挙行されるに際しては、前日の「退位礼正殿の儀」と同様に、直前に継承された剣璽等が奉安されるべきと考へる。ちなみに前回、平成の「即位後朝見の儀」では、登極令に規定されてゐた剣璽の御動座はなされなかった。
(本紙論説委員、長野・深志神社禰宜)