杜に想ふ
筆文字 神崎宣武
令和7年11月17日付
5面
郷里での、神職としての多忙期がはじまる。
氏神の大祭にはじまり、小字単位での産土荒神の例祭、本家・分家関係での株神祭と、年末まで続く。とくに、通勤者が多くなってからは、金曜日から日曜日にかけてがとくに多忙となる。
しかし、その他の日も御札(神札)造りで時間を費やすことになる。
さすがに、氏子や産子に配る小型の御札は、コピー印刷で間に合はすやうになった。が、霊印を押して水引を掛けるなどの手作業を一体づつ加へなくてはならない。印刷業者に頼めば、といはれても、祭神が多岐に及んでゐるし、氏子や産子の戸数も限られてゐて、それ以上の合理化はむつかしい。
祖父や父は、毎晩遅くまで御札造りに勤しんでゐたものだ。それに、正月から春の彼岸までは、家祈祷(宅神祭)が続いてもゐた。それに比べると、労苦も半減、いや半減以下といふところだらうか。
私は、筆で御札を書くことを祖父から教はった。文字の上手下手ではなく、文字の配列が大事だ、と。そして、当番(当屋)の家で用意されてゐる白紙と墨・筆で書くのが本来の姿だ、と教へられた。
以来、奉書を用ゐての大型の神体札や当番札は、できるだけその場で書くやうに努めてきた。はじめのころは、人の出入りや視線が気になって失敗することもあったが、慣れてくると冷静に書けるやうになった。
ただ、最近は、少し首をひねることが生じてきた。文字の配列が頭でっかちになったり尻すぼみになったりするのだ。他人が一見しただけではわからないかもしれないが、私がなじんできた感覚に狂ひが生じがちなのだ。ああ、高齢化といふことだらうか、とも思ってみる。ならば、いたしかたもあるまいが、枯れた筆跡には及ばないところが凡人たるところであらう。それでも、私は、御札書きにこだはりたい。
一方では、固有の神社名や祭神名を略して、ただ「氏神」とか「荒神」と記した御札も出まはりだした、とか。だが、遷座祭や上棟祭での木札を前には、さすがにさうもいかないであらう。
そのことは、仏教でも同様のはずだ。が、そこでも塔婆への印刷が流行りだした、といふ。同じ文字の配列であれば、それも可能であらう。
時代に合はせての変化は、いたしかたないことでもある。しかし、そのところでの歴史文化の伝承を担ふ私たち神職や僧侶たち。筆文字をおろそかにするのは何とももったいないこと、といはなくてはならない。
といふのは、年寄りの冷水(お節介)、ではある。だが、次世代にも伝へなくてはならない歴史文化、民俗文化がある。上手に語るのも大事だが、誠実に体現するのが、より大事だらう。さう思ひ、さう願ふところである。
(民俗学者、岡山・宇佐八幡神社宮司)
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