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杜に想ふ 松林図 八代 司

令和7年10月27日付 5面

 例年以上の猛暑の炎天下、能登半島地震の被災地で損傷した道路を直す作業員の方々を車窓から見るに付けて、ただただ感謝の気持ちとなった。灼熱の夏もいつしか過ぎ、例年、九月の祭礼時に稲刈りを終へた田の畦道に咲き誇る彼岸花だが、今年は酷暑の影響か少し遅れての開花となった。
 地元紙に「地震で倒壊した近所の家を見て悲しくなり、そこが更地になったのを見て寂しくなる」と投稿されてをり、能登の実家の隣近所を見渡してもまさにその通りと深く共感してゐる。更地になった所々に夏草だけは元気に生ひ茂る姿であったのだが、秋の風が吹き始めると一気に枯れ野ともなり、いよいよ寂寥感が増してきた。
 先日、気晴らしにと被災地能登で暮らす母と七尾美術館を訪ねた。高台に建つ同館も相当の被災状況であったのだが、「震災復興祈念」と銘打って、桃山時代に七尾で生まれて「画聖」とも称された長谷川等伯が描き、「国宝中の国宝」として人気を集める『松林図屏風』が二十年ぶりに公開されてゐたからだ。
 戦国の乱世を生きた長谷川等伯。織田信長や豊臣秀吉といった天下人が好んだ全面を金箔で押した煌びやかな金碧障壁画が夙に有名な時代でもあった。
 松は吉祥を表す植物の雄――新年の床の間にも「松樹千年翠」との掛物を目にする通り、風や雪に耐へて色変へぬ常緑の松は長寿やめでたさを表して好まれる。しかしながら件の「松林図屏風」は岩絵の具による緑の彩色ではなく水墨画。墨の濃淡で描かれたのは、かの「雪舟より五代」と自称した等伯ならではなのだらうが、二十六歳の若さで早逝した息子の久蔵を失った悲しみのなかに描いたとの説も頷けるものがある。
 二十年ぶりに屏風を鑑賞した母は「前に観た時よりも色が淡く感じる」との感想。「『国宝』だけに管理は徹底されてゐるから褪色することはないよ」と言ひながらも、「観る人の心持ちで観え方も変化するのが名作とも言はれる所以なのかな」と二人で顔を見合はせた。
 松のめでたさを思ひながらも、もはや手放しで祝ふことができなくなったのは能登の正月。「松林図屏風」を所蔵する東京国立博物館では正月に公開されるのが恒例とのことだが、今年の正月、東京国立博物館の展示室には能登半島地震の義捐金のための募金箱も設置されたといふ。以前より屏風に描かれた松は、等伯が青雲の志を胸に京都へ画業修行に出た際に眺めた故郷能登の松林ではないかとも言はれる。確かに大地に根を張り曲がった樹幹は日本海から吹き荒ぶ潮風による磯馴松かとさへ思へてくる。
 さういへば、全壊判定がされたため昨年末に公費解体をした曽祖父の建てた土蔵の梁もみごとな赤松材だったことを思ひ出す。いつの日かまたこの名作を眺めた時にはどのやうに感じるのだらうかと思ひをめぐらせて美術館を後にした。
(まちづくりアドバイザー)

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