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論説 「慰霊の旅」を拝して 歴史理解を深め慰霊継承を

令和7年10月06日付 2面

 前号掲載の通り、天皇・皇后両陛下には九月十二日から十四日にかけて、第四十回国民文化祭及び第二十五回全国障害者芸術・文化祭に御臨場併せて地方事情御視察のため、長崎県に行幸啓遊ばされた。
 両陛下には今回の行幸啓に際し、長崎市の平和公園内に建つ原子爆弾落下中心地碑で御供花・御拝礼になられてゐる。また長崎原爆資料館を御視察、さらに被爆者養護施設を御訪問され、それぞれ被爆者・入所者と御懇談遊ばされてをり、その御日程中は敬宮殿下を御同伴になられた。
 大東亜戦争終結八十年の節目にあたる今年。戦歿者らにお寄せ遊ばされる大御心を拝し、そのありがたさを改めて噛みしめたい。


 今回の長崎県行幸啓については、終戦八十年に際しての「慰霊の旅」の締め括り、などと報じられた。
 天皇陛下には今年二月の天皇誕生日に際しての記者会見において、「今年、戦後八十年という節目を迎え、各地で亡くなられた方々や、苦難の道を歩まれた方々に、改めて心を寄せていきたい」とお述べになられてゐたやうに、四月に硫黄島、六月には沖縄と広島、そしてこのたび長崎を御訪問。また八月十五日には例年通り、東京・日本武道館での政府主催「全国戦没者追悼式」に御臨席になられ、それぞれ戦歿者らの御霊を慰められた。上皇陛下が皇太子時代に言及された「忘れてはならない四つの日」、すなはち沖縄慰霊の日、広島原爆の日、長崎原爆の日、そして終戦記念日について、今上陛下にも大切に思召されてゐることが拝察される。
 また天皇陛下には七月、モンゴル国の「日本人死亡者慰霊碑」を訪れられ、御供花の上、黙祷を捧げられた。先に触れた記者会見で陛下には、「亡くなられた方々や、苦しく、悲しい思いをされた方々のことを忘れずに、過去の歴史に対する理解を深め、平和を愛する心を育んでいくことが大切」ともお述べになられてゐたが、先の大戦にあたり約一万四千人の旧日本兵らがモンゴルに抑留され、このうちおよそ千七百人が現地で死歿したことはあまり知られてゐない。陛下の「慰霊の旅」により、その悲史に改めて光があたったともいへよう。
 大東亜戦争終結八十年の節目にあたり、上皇陛下の大御心の継承に努められながら、さらに過去の歴史に対する理解を深められようとされる今上陛下のお姿、その尊さを胸に刻みたい。


 周年といふことでいへば、今年は明治二十八年の日清戦争終結から百三十年、同三十八年の日露戦争終結から百二十年の節目にもあたってゐる。ただ、わが国をはじめ当事国において今年、この両戦争が注目されるやうなことはあまりないやうだ。
 日清講和条約(下関条約)締結に際しては、わが国への割譲が約された清国の遼東半島について、独国・露国・仏国が返還を勧告(三国干渉)し、当時の政府は断腸の思ひで受諾を決断。わづか三年後、その遼東半島の旅順・大連を租借地としたのは露国だった。臥薪嘗胆の末に迎へた日露戦争ではその旅順が激戦地となり、乃木希典大将率ゐる第三軍が多大な犠牲のもと旅順要塞を陥落させたことは夙に知られる。その露国との講和条約(ポーツマス条約)締結にあたっては、賠償金を得られないことなど講和条件への不満から戦争継続を求める大規模な国内騒擾(日比谷焼き討ち事件)が起こり、東京市内に初の戒厳令が布告される事態にまで発展した。
 欧米列強諸国が植民地獲得競争をくり広げる厳しい国際環境のなかで、後発国としてのわが国が内外の諸状況に翻弄されながら、いかに難しい舵取りを迫られてきたのかがわかる。


 今年もまもなく、東京・九段の靖國神社において秋季例大祭が斎行される。天皇陛下には例年、同神社の春秋の例大祭にあたり勅使を御差遣。幕末の戊辰戦争以降、日清・日露の戦争や大東亜戦争を含め、国事殉難の英霊二百四十六万六千余柱の御霊への慰霊に努められてゐる。
 大東亜戦争終結八十年の節目にあたる今年も、残すところあと三カ月となった。大御心を体し、先の大戦をはじめ「過去の歴史に対する理解を深め、平和を愛する心を育んでいくこと」、そして戦歿者の慰霊・顕彰の継承に努めたいものである。
令和七年十月六日

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