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杜に想ふ フィールドワーク 神崎宣武

令和7年09月22日付 5面

 過日、某研究センターの研究報告会に出席した。公募研究に応募した八人の一年間にわたる研究成果の発表会であった。私は、その審議員といふ立場で出席したのである。
 大枠のテーマは、「嗜好品」。酒・煙草・コーヒー・紅茶など、さまざまな研究分野がある。
 臨場感あふれるおもしろい発表もあった。「現代フィジーの村落における嗜好品カヴァの生産・消費の変容」。大学院生の一年間に及ぶフィールドワーク(臨地調査)の成果発表である。
 カヴァとは、コショウ科の植物。その根を粉化して飲用するさうだ。宗教儀礼の場で飲用されてきたが、近年は日常的な飲用が増えて、健康への影響も懸念される、ともいふ。
 そこで、「どんな味、どれほど酩酊するのか」、と質問してみた。すると、自分の飲用体験を述べるではないか。何度も体調を崩した、とまで。その素直さに、私は、笑ひながらうなづいた。
 しかし、一方で、首をひねらざるをえない発表もあった。それは、中国からの留学生による「男は酒、女は茶―日中食習慣に関する比較民俗学的研究」。
 ジェンダーの視点から、といふその前提は、ともかくとしよう。また、中国での事例もともかくとしよう。だが、どうしても見逃せないところは、日本における飲酒習慣である。
 発表者は、「日本での酒は特殊なもので、神道と関連してゐる」と、ほぼ断定してゐるのだ。そして、各地の博物館や資料館を巡って、神饌としての酒に注目してゐるのだ。たとへば、月桂冠大倉記念館では松尾明神への献饌を確かめる。また、阿蘇市立一の宮図書館では阿蘇神社の火振り神事と御神酒の関係を確かめる。もちろん、それも妥当な視点ではある。
 しかし、実際に神社や村落を巡って神事を観察する、その種のフィールドワークは、ほとんど皆無に等しいのだ。したがって、報告も神社での神饌だけに目を向けることになる。
 そこでは、道端の祠や石像にも時々に酒が供はることなどは、想定ができないだらう。道開きや山入りの前に酒を撒くなども想定できないだらう。「民俗学的研究」といふからには、それでは困るのである。
 そこで、私は、アニミズムや神仏習合の伝統もひくところの「信仰と酒」について意見を述べてみた。
 理解してもらへたかどうか。発表者が留学生だから、といふのではない。近年は、日本人の学生や若手の研究者のなかにも、フィールドワークを重視しない傾向がみられるのである。その一例として、「伊勢湾周辺地域におけるボラの民俗」を、本紙でも紹介したことがある(令和六年六月十七日)。そこでは、文献調査での事例紹介だけにとどまってゐた。
 その研究報告会での半日。若い研究者を前に、少々疲れもした半日であった。
(民俗学者、岡山・宇佐八幡神社宮司)

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