文字サイズ 大小

論説 終戦から八十年 真の「深い反省」に向けて

令和7年08月25日付 2面

 去る八月十五日、わが国は「終戦八十年」を迎へた。即ち、昭和二十年八月十四日に発せられた「大東亜戦争終結に関する詔書」(終戦の詔書)が国民に周知された、十五日正午の玉音放送から八十年が経過したことになる。
 この日、天皇陛下には日本武道館で開かれた政府主催「全国戦没者追悼式」に臨まれた。その際の「おことば」では、「さきの大戦」における戦歿者とその遺族、「終戦以来八十年」における「多くの苦難に満ちた国民の歩み」に思ひを寄せられ、「戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展」を祈られた。そしてかかる近年踏襲されてきた内容に加へ、新たに「戦中・戦後の苦難を今後とも語り継ぎ」といふ文言も組み込まれた。


 天皇陛下には今年、靖國神社例大祭の勅使御差遣はもとより、終戦八十年臨時大祭を斎行する護国神社に対し幣帛料を御奉納になられ、硫黄島、沖縄、広島、モンゴルの慰霊地にも行幸された(九月には長崎行幸の御予定)。
 かくの如く我々は、戦歿者慰霊を率先して継承、実践される聖上のお姿を拝してきた。戦後生まれの追悼式参列者が初めて半数を超えた今、先の文言に籠められた大御心は、国民のなかで実感を伴ひつつ響き渡り、各人が「語り継ぐ」使命感を新たにしたはずだ。


 また、石破茂首相による追悼式の式辞では十三年ぶりに「反省」といふ文言が復活した。「終戦五十年」以降、十年ごとの節目に合はせて閣議決定してきた「首相談話」を石破首相が見送ったことも含め、議論を呼んでゐる。
 但し、首相式辞における「反省」の語などは、天皇陛下の「おことば」にある「深い反省の上に立って」といふ文言の千鈞の重みとは比較にならない。「おことば」では、平成二十七年の「終戦七十年」に当たって、「深い反省と共に」といふ文言が入れられた。細かな表現の違ひはあるが、「深い反省」の語は上皇陛下から天皇陛下へと引き継がれた。
 なほ、十年前の本紙論説(平成二十七年八月二十四日付)では、「その『反省』は、あくまで日本人の手による本当の意味での主体的な自己批判でなくてはならない。即ち、『侵略』か『解放』か、などの二者択一を迫る問ひでなく、『さきの大戦』をめぐる『理想』と『現実』の間にあって真に『反省』すべき点とは何かについての徹底的な史的検討が必要である」と書いてゐた。
 この十年の歩みを振り返り、我々はかかる営みを十分におこなひ得てきたのか。本紙としては未だしといふほかない。ただこの停滞を深く「反省」し、神道人として主体的に取り組むべきだといふ意地だけは失ってゐない。


 今回の追悼式では「平和と反戦を語り継ぐことを誓った」(『朝日新聞』八月十六日付)と表現した向きもあったが、果たして「今後とも語り継ぐ」べき「戦中・戦後の苦難」とは、かくも単純な標語的理解で割り切って事足りるものなのか。その時その時の極めて複雑な状況、事情、思ひが綯ひ交ぜとなって解きほぐし難くなったがゆゑの「苦難」ではなかったのか。この点、保守であれ革新であれ、オールドメディアであれニューメディアであれ、巷の言論には飽き足らないものが多い。
 かつて神道人・葦津珍彦は、「日本人の心情を綜合的に見れば、東洋の解放者としての側面と、東洋への圧力者としての一側面とが二重写しになって見えるといふのが真相」と述べ、「事実占領にさいして、日本人の間に、強欲や専横の行為のあった事実を、われわれは否定しえない」とも記した(「大東亜戦争の思想的性格(下)」、本紙昭和三十八年八月十七日付)。葦津はさらに「大東亜戦争は、痛恨の敗戦史であり、そこには暗い思出の事実が山積してゐる。その事実の意味を深くほりさげ、民族的反省につとめるのは大切」だが、「日本民族の先人が、悲壮な決意をもって、国の独立を守り、東洋解放のために、世界史上まれに見る偉大な業績を築きあげたこと」、そのために「多くの英雄たちが、その生命をささげたこと」といふ「赫々たる歴史の一側面を見失ってはならない」のであり、それを銘記することなくして「戦歿の英霊に対することは非礼」とも喝破した。
 かかる地平に立たない限り、真の「深い反省」には至らないのである。
令和七年八月二十五日

オピニオン 一覧

>>> カテゴリー記事一覧